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■路地裏紀行 手飼虎(てがひのとら) 著者:甲氏 校正者:市川浩 晝下り、近間の路地を散歩するに、町家(ちやうか)の石段に斑猫在り。赤き紐で繋がれたれば、迷惑さうに目瞑りけり。「全く、猫を何かと思ひけるや。」とでも言ひたげな(=なる)澁面(じふめん)なりき。紐が張られたるは、この扱ひを肯はざる主張ならん。 あくる日、かの猫、気にかかれば見に行きぬ。猫の姿見えず。千切れたる赤き紐のみ石段に垂れり。 惟ふに、かの斑猫は、愛玩動物たれという(=ふ)境涯をよしとせず、己(+が口)で紐を噛み切ったるか、朋友の來援に因りて(+か)、其の場を出離したるらん。 またの日、余は自轉車にて遠出す。道の脇に轉がる猫の姿、目に入りたれば、しばし止まれり。 茶縞の猫、二階家の玄關先にて、あなたこなたに臥し轉(まろ)び、余が見たれど一向構はず轉がり續けり。不意と見れば、庇に猫横たはれり。わづかばかりの赤き紐を首より下げたるは、かの軛を斷ち切ったる斑猫なりけり。段違ひの庇を枕にし、晝寝(=寢)(+す)らし。 今や、顔(=顏)付はしかめっ面にあらず。平らかにして憩ひけり。 己の本分を守りたる姿を余は見たり。 げにや、猫は猫なり。犬にはなり得ず。 散文・隨筆なれば書き手の言葉遣ひ尊重すべく、假名遣、文法の誤りのみ校正す。語法に就きては、以下の添削例竝びに注を參照されたし (添削例)晝下り、近間の路地を散歩するに、町家(ちやうか)の石段に斑猫(まだらねこ)を見る。赤き紐に繋がるるを、迷惑さうに目瞑りたる澁面、「全く、猫を何と思ふや」とでも言ひたげに、紐を切れむばかりに張りて、不當なる扱ひに不貞腐れをり。 あくる日、かの猫如何にと見に行くに、猫の姿なし。千切れたる赤き紐石段に垂るるのみ。 惟ふに、かの斑猫、自ら紐を引千切つたるか、朋輩の來援ありてか、愛玩動物たるの境涯を出離したるらむ。 またの日、余は自轉車にて遠出す。道の脇に猫の轉がるを目にし、しばし止まりて見つ。 茶縞の猫、二階家の玄關先にて、ごろごろと臥し轉(まろ)び、余が見るを一向構はず轉び續けたり。ふと見るに、庇にも猫横たはれり。わづかばかりの赤き紐を首より下げ、かの軛を斷ち切つたる斑猫と知れり。庇に段あるを枕に晝寢す。 今や、顏付はしかめつ面にあらず。平らかなる憩ひに己が本分を守りきと見えたり。 げにや、猫は猫なり。犬にはなり得ず。 ■注■ ● 「斑猫」、一般に「はんめう」は蟲の名、此の場合は「まだらねこ」なればルビ望まし ● 「繋がれたれば、目瞑り」とあれば「逃げ囘りたる果に紐に繋がれ、觀念」しけるさまに見ゆるらむ ● 「紐が張られ」、英語の如き受身表現は、文語には馴染まず「紐が張り」または「紐を張り」 ● 「肯はざる主張」するに目瞑りゐては迫力減ずるにや ● 「出離したるらむ」は正しく、これを「出離したらむ」とするは誤り ● 「紐を噛切つたるか」猫の齒では紐を切れじ、前段の「紐を張りて」と照應して「引き千切る」など ● 「姿見えず」=「聲はすれども姿は見えず」、「其の場を出離」=「其の場を離る」「俗界を出離す」、「あなたこなたに臥し轉びて」=「あなたこなたに猫臥し轉びて」、「段違ひ」=「段違ひの力の差」「段違ひ平行棒」など語句の慣用あるにより微妙に含意のずれ生じたるを惜しむ。 ▼「指南塾」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |