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■自己紹介文
著者:長屋生 校正者:市川浩


僕、もとより生まれし年も遅く、好学の士にもあらざれば、三そじを眼前に見たるこの歳に至るまで文語文に接すること甚だ少なし。僅かに中等高等学校時に古文及び漢文の授業ありしのみなれど、それさへをもこれを過ごすに睡眠を以ってせり。


生れし年、しは囘想の助動詞「き」の連體形なれば、この年に何か特定の事蹟あるべきところ、もし無くば生れたる年とすべきところ
三そじ三十路みそぢが正しく、眼前は「眼前にす」が慣用句にして、「生れたる年」を表現しをれば重複避くべきなり。
それさへをもこれを、「を」重複、
過すに睡眠を以てせり、面白き表現なり


(添削例)僕、もとより好學の士にもあらざれば、三十路を眼前にして文語文に接する甚だ寡かりき。僅かに中等高等学校時に古文及び漢文の授業ありたるも睡眠を以て過せしにや、文語腦裏に甦る莫し。


こは僕のみに責あらざるべしと信ず。方今の受験が為ばかりの古文漢文授業に、誰ぞ興味をばえ持ちたるや。そも国語教師からして文語文に興味あらざるに、などか文語文が魅力をば生徒に能く伝ひえるや。さなれば学校教育中の古文漢文授業が学生に供せるものこれ莫しと云ふべし。これこそ今日文語文の衰微したる一因なれ。


あらざるべしと信ず、「べし」は推量、「信ず」は確信にて竝列不可なり
方今のは「受驗」を修飾するにあらずして、「授業」の連體詞なるゆゑ語順工夫を要す
誰ぞと係れば持ちたると結びて足り、「や」は不要、同樣になどかと係れば「能く傳ふる」の結びとなるところ、又「能く」あれば「得るや」は不要。なほ伝ひえるやは「傳ひるや」の誤。
最後のこれこその係りに「一因なれ」と正しき結びあり。此等係結の法則「睡眠を以て過したる古文漢文授業」にて習得せしものに非ずや。およそ勉強と言ひ、練習と言ひ修行に「興味」、「魅力」の類有るべくもなけれど、年經て滋未出で來らむ



(添削例)こは僕のみの責ならむや。方今の古文漢文授業とかく受驗に偏し、教師亦文語文に興味乏しければ、自づから生徒その魅力感得する能はず、かくて今日文語文の衰微とはなれりとなむ覺ゆる。


かくのごとくして、文語文とは無縁なる年月を送りたる僕なれど、今年三月なるに卒然として文語文に目覚めき。こは『完本 文語文』なる一書に出会ひしをその緒とせり。この書にて文語文の優雅美妙なるを啓かれし僕は爾来、古典・漢文及び明治文士の著したる文語文章等その数多くはあらねど読みたり。


送りたる、目覺めき、出會ひし、啓かれし、著したる、讀みたり、過去乃至完了の助動詞多用、用法もやや不適切にて、「送りたる」はむしろ「送りける」、「目覺めき」は「目覺めたり」とすべきところ。または「蒙を啓く」もの、「微妙なる」を啓くものに非ず
今年三月、今となりては「去年」
数多くはあらねど、「古典・漢文」の前が良からむ


(添削例)かくして僕、文語文とは縁無なき年月を送りけるも、去年三月、『完本 文語文』なる一書に出會ひ、卒然として文語文の優雅美妙なるに目覺めたり。爾来僕は數多くはあらねど、古典・漢文及び明治文士の著したる文語文章等を讀むに至り、己が生活に文語文が存在漸く大となれり。


僕が生活の内に文語文が存在漸く大となれり。そに従ひて僕の心中にまた文語文の未来を憂慮するの想ひ湧き上がらずんばあらず。当世将に文語文の灯消えんとす。されども文語文をば愛するところの士もまた少なからず。こは幼少時に常として文語文に親しみし世代のこれある故ならん。現今なれば共に文語文をば語りうる同好の士もありなん。されど時移りて、僕の老境に至れる日にても文語文を相語れる人の果たしてありや。僕これを憂ひたり。


僕が生活の内に文語文が存在漸く大となれり。前段に移せば如何(添削例參照)
〜ずんばあらず、〜シナイデヰラレヨウカと話者の強き意志を表し、此の文の主語「想ひ」の述語たり得ず
幼少時に常として、幼少時日常の意ならむ
文語文を相語れる人、憂ひたり、「時制」整はず。


(添削例)同時に僕の心中に文語文の未來を憂慮するの想ひまた湧上らざるなし。當世將に文語文の灯消えんとすと雖も、幼少時日常文語文に親しみし世代なほ健に、文語文をば愛するの士現今未だ存しあり。然れども僕の老境の日文語文を相語る同好の士果たしてありや。僕これを憂ふ。


僕、文語文の継承に尽力せんの志あれども、己の小才なるを省みるに慨嘆せざる能はず。頼りなき僕の才にて後世に文語文を伝えんの一助たりうるやと。されども、行先を嘆ひても益あらざるともまた知りたれば、牛歩の如くなりとも前を望みて進まんとす。眺むる先がつひに手の届かざる坂の上の雲なりとも。
未だ浅学にして詞藻も貧しき僕なれば、宜しく諸兄の御鞭撻給はらんこと願ひ侍り。
また、旧仮名遣いにつきても馴染薄き世代なれば、誤りも多かるべけれども、何卒ご教授くだされたく願ひ侍り。
平成十五年十二月三十日


伝えん、嘆ひて、旧仮名遣いは誤、正しくは夫々伝へん、嘆きて、また假名遣ひ
折角の御志なれば、文章表現、力強かるべし
正仮名遣につきても馴染薄き世代、なれども概ね正しく悲觀すべからず


(添削例)僕の小才・淺學なる、詞草貧しく前進牛歩の如くつひに坂の上の雲に手屆かざらむも、文語文を後世に繼承せむの志些かも搖がざれば、諸兄の御鞭撻、特に假名遣の御教授をこそ願ひ侍れ。
平成十六年二月二十五日


付記
僕、文語文に志持つものなり。されども身近に文語文を愛好する人持たず。さなれば、これまでは古書読みて独学す(=する)のみ。数日前、インターネット上に貴会あるを知る。僕、欣喜雀躍してその末席に加わ(=は)らんと欲す。しかるに、会員たるには文語文を著すべしとありたり。もとより文語文の復興の為には、先人の遺されし作品をただ読むのみならずして創作をもせずんばならずとの想ひ持ちたれども、僕、浅学にして文語文の習得及び己が文章の確立をも未だ達せざれば、能く鑑賞に堪へうる作品をば著しうるや甚だ覚束なし。さりとて、未熟なればとて書かざらば、上達することもこれなしとも思へり。
貴会の会員に加わ(=は)りたしとの思ひあれど、右の紹介文を一読せば判ずられる(=ぜらるる)が如く、吾が作文の未熟なるは論俟たざることなるをも僕また知りぬ。今回、入会叶はざれども、僕の文語文に対する志をば失ふことあらざれば、今後も精進す(=する)の気持ちは持てり。万に一つ貴会の末席に加わ(=は)ることを得ば、更なる精進はもちろん、投稿も小まめに致したき所存なり。そがことになんならば、歴史上の人物の小話などを書かまほしとなん考へたる。宜しくご判断くだされたく願い(=ひ)奉らん。


假名遣、文法の誤りのみ校正し、以下に添削例を示すにとどむ


(添削例)僕、文語文に志持つものなり。身近に文語文愛好の人無ければ、これまで獨學古書を讀むのみ。數日前、インターネット上に貴會あるを知り、欣喜雀躍してその末席に列ならむとす。しかるに、會員たるには文語文を著すべしとあり。もとより先人の作品をただ讀むのみにて、創作をもせずんば文語文の復興覺束なしと思ふも、僕、淺學にして右の自己紹介文の如く文語文の習得、確立未だ達せざれば、作品能く鑑賞に堪へむやを懼る。されど、未熟なればとて書かずば、上達もこれなしと思ふなり。
文語文に對する僕の志堅く今後も精進するの氣持強ければ、幸ひ貴會に加はるを得ば、歴史上の人物の小話など書きて小まめに投稿も致したき所存なり。


もし入会かなひますれば、援助制度適用を希望いたします。もし、僕宛にメールを送付されますお(=を)りあらば、題名に『慎二へ』と書き加え(=へ)ていただけますよ(=や)うお願い(=ひ)申し上げます。


口語文は現代假名遣も可とするも、入会かなますればりあらばとの混淆は不可なり


以上


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