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■九月出題分の解説  校正者:市川浩


*(問題文)


文語文を書き始めて發見したことであるが、文語には言ふに言はれぬリズムがあるのである。或る先輩の指摘によれば、口語文だと暗記する氣がしない若い人でも、文語文なら喜んで覺えるのださうである。それもこのリズム感のなせる業であらう。これこそ詩とは切つても切り離せない大事な要素であつて、文語を失へばやがて我が國は第一級の詩人を生めない國になつてしまふ。
                (愛甲次郎)


*(應募文)


一、
文語文を書き始め發見したることなるが、文語は言ふに言はれぬ韻律あり。或る先輩指摘す。口語文にては暗記する氣のせぬ若人口語文にては暗記する氣を起こさざる若き人にても、文語文にては喜びて
覚(=覺)る(トル)なりてふと。そはこの韻律の業ならむ。まさにこれ詩と分ち難き大事なる要素にして、よし文語文を失はばやがて我が國は第一級の詩人を生ぜざる國になり果てなむ。 (石井さん)


二、
文語文なるを書き初めし折、文語に於ける、言ふに言はざる調子律動あるを、新たに見つけたり。 さる時、先輩指摘して曰く、口語文たれば暗記の意欲無からむと言ひし若人(わかうど)、ひるがへり、文語文なれば記憶の煩(はん)少しも厭はず喜々としてこれに従事せむと。この故は文語の有せる絶妙なる律動感のよってきたる業(わざ)ならむ。こは又詩に於ける切りて切らざる貴重なる要素なり。一旦文語失はむか、我邦に於ける第一級詩人産出やがては不可能とぞなりぬべきや (K.Fさん)


*(解説)
赤字は誤、青字は添削試案。


「覺ゆなりてふ」(一) 「なり」はラ變型活用以外は終止形に接續、「覺ゆ」がヤ行下二段活用の終止形。また「覺ゆなりてふ」は「オボエルノダト言フ」の意、「オボエルノダサウダ」の原文を活かすには、「覺ゆなるらむ」または「覺ゆらむ」とし傳聞推量の助動詞「らむ」を用ゐるも可


「詩人を生ぜざる國になり果てなむ」(一) 「生ず」は事態、現象の發生の意味強き自動詞、ここは「生まざる」と他動詞に用ゐるが適當か。また「なり果てなむ」の「なむ」はここでは完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」+意思推量の「む」で「ナリ果テテシマフノデアラウ」の意。從ひ「果て」は連用形と知るべし。然るにタ行下二段動詞「果つ」は未然・連用同形なるにより「なむ」を未然形に連なる願望の助詞と解して「ナリ果テテ欲シイ」の意にも解さるれば、誤解を避くるため「なり果つべし」、「なり果てぬべし」などとするも一案


意欲無からむと言ひし若人 〜 従事せむ(二) 「意欲ガナイダラウ ト言ツテヰタアノ若人ガ 〜 從事スルダラウ」となりて文脈亂るを避くべく、「意欲無しと言ふ若人 〜 從事す」、「意欲無き若人も 〜 從事せむ」、「意欲無カラムト見ユル若人」など工夫あるべし


不可能とぞなりぬべきや(二) 「ぞ」と「や」は重複氣味、むしろ「不可能となりぬべし」、「不可能とぞなりぬべき」、また「ぞや」と續けて用ゐ「不可能となりぬるぞや」など


*(擔當者試案)
文語文を書き始めたるに、文語にはえも言はず韻律ありて、若き人總じて諳誦を厭へど、口語文ならず文語文なれば喜び諳んずと或る先輩の申さるゝも、げにその働きと覺えぬ。この韻律詩をも歌をも切りも離さず育むものなれば、文語を失はば我が國やがて優れたる詩人をばえ生み育てまじ。 (市川 浩)


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