侃々院>「岡崎偶感」岡崎久彦
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  岡崎久彦


  五月四日 七黨八派  


 平成五年八月細川内閣成立す。
 日本新黨(細川),新生黨(小沢)、社会黨(山花)、公明黨(石田)新黨さきがけ、社民連、七黨、民改連一派の連立政權なり。
 當時、余、故椎名素夫氏と一夕を共にするに際し、戯れに一詩を賦し、椎名氏に揮毫を嘱す。余、椎名氏の筆の流麗なるを知ればなり。





七彩八派燦
山花賑石田
細川潤小沢
可惜虹色短



七彩八派の燦
山花、石田を賑はし、
細川,小沢を潤す
惜しむべし、虹の色,短きを



 水車廻る寒村、山花散る石田の春に、七色の虹の懸かる風景なり。その後果たして細川内閣は九ヶ月の短命に終はれり。
 余もとより、平仄の法を知らず、王蒼海氏などの叱正を待つのみ。


 折から安岡正篤の高弟、井上義男居士入院の報あり。この書を携へて慰問す。その後、此書いづくに行きしかを知らず。


 昨正月、椎名氏、岡崎研究所來訪の際,談偶々この書に及び改めて氏に揮毫を委嘱せり。
 屠蘇機嫌の醉筆にして部分的修正の跡も殘れど、その後、氏、本年三月の長逝まで、硯を開くを聞かず、氏の絶筆となれり。よりて此れを表裝して遺さん。


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