侃々院>「岡崎偶感」岡崎久彦
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  岡崎久彦


  三月二十九日  偶感補足    


 くどきやうなれど、松井大將の第二の詩の意、未だに腑に落ちざるものあり。


 特に、第一詩において、「江南の風色忽ち澄清」、と賦しながら、第二詩において「妖気來たり去りて野色昏し」とは何の意ぞ。妖気を國府軍と解すれば、國府軍既に去りしあとは、野色晴朗ならずんばあるべからず。


 これを熟つら讀み返すに一解釋自づから生まれたり。


 「紫金陵幽魂在りや無しや」は、蒼海先生御指摘の通り、日中友好を願ひし孫文の靈いづくにありやと、日中干戈を相交へるの時に當たりて、今は亡き孫文に呼びかけしものならん。さすれば、「妖気來たり去りて」は孫文の遺志空しく日中相せめぐを意味し、「妖気」は雙方を指すものならん。


 南京事件の影、また、背後にあると推定さる。
 両軍正を以って相對し、堂々の勝負の上、肅たる軍律の下の開城ならば何の影かある。第一詩の「江南の風色忽ち澄清」は占領のあるべき姿なり。


 實情は、國府軍司令官唐生智、南京死守を命じながら、自らは逃亡し、指導者を失ひし大軍、混亂の中に潰走し、日本軍は、正規軍、降兵,便衣隊を問はず、當たるにまかせて殺戮す。略奪強姦の報も絶えず。日中の前途を思へば暗澹たるもの在りしならん。


 あまりの慘状に、低徊、馬の歩を進めんとするもその意を喪へる心境を表はせしものならん。


 今一度二詩を掲ぐ


  燦矣たり、旭旗石城に
  江南の風色、忽ち澄清
  王師百萬、軍容肅たり
  仰ぎ見る、皇威八紘に輝くを。


  紫金陵、幽魂在りや否や
  妖気來たり去りて、野色昏し
  沙場を經會して、感慨切なり
  馬を駐めて低徊す中山門



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