侃々院>「岡崎偶感」岡崎久彦
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  岡崎久彦


 「岡崎偶感」謹解 三月十六日  
           王蒼海


 詩に達詁なしとは漢文學者の約束なれど、詩を證となすは猶ほ小説家流の一技なる可し。今謹んで「岡崎偶感」を拝讀して、松井大將「南京入城」二首の其の二の詩話を更に敷衍せんとす。


  紫金陵、幽魂在りや否や
  妖気來たり去りて、野色昏し
  沙場を經會して、感慨切なり
  馬を駐めて低徊す中山門


 紫金陵とは、南京に名にし負ふ中山陵の美稱にして、孫文が陵墓なり。中山陵に幽魂在りやと尋ぬるは、日本に留學し、宮崎滔天とも刎頸の交はりなりし孫文の靈、居ますことを問ふものなり。これに對句たるべき第二聯にて、「妖気」てふは、孫文の正氣に相對するものにて、松井大將の目から見れば敵陣なる「國府」を指す物ならむ。國府軍の南京に政府を樹立して、やがて蒼惶と敗退し、生靈塗炭なるを、野色昏しといへり。第三聯には、戰場を歴巡して、感慨が身を切るがごときことを率直に述べ、第四聯にては、巨大なる中山門にて馬を停め、低徊すとは、馬上に傲然たらず懇ろに將兵を勞ふ様を自ら謂ふなり。


 しかるに、漢詩は、重層的なり。古来あまたの文字の獄を生き延びたる文人の智慧の秘庫なり。このやうな第一義あらば、憲兵もこれを罪とすることなからん。されど、「岡崎偶感」には、其の深層に入りたる解釋として、「陰鬱さ、隱さんとして蔽ひ難きものあり。戰歿將兵の靈を意味すとも解せらるるも、皇軍兵士の靈を妖氣と呼ぶは奇怪なり。」と謎を示さる。この啓發を受け、聊かこの第二義を管見せん。


 紫金陵とは、激戰の開始せる南京郊外が紫金山の丘陵ならむ。日記に據るに、紫金山に猶多くの敵兵あり、入城式前に掃蕩を下知せり。幽魂といふは、一切の彷徨へる魂なり。妖気といふは、松井日記にも在るが如く、一部將兵に軍律徹底せざるさまにて、かくのごとく形容せざるを得ぬ雰圍氣の軍中にありしものならむ。「沙場」とは辛棄疾が詩に名高けれど、兒玉源太郎の製する日露戰役の挽歌たる「死屍幾萬山河を埋む 亂後村童野花を賣る 春去り秋來たり功未だ就らず 沙場二歳家を知らず」にもあり、大將は陸士出身なれば、この明治の浪漫主義を知らざることはなからん。經會には、やり盡くしたるがごとき、うんざりの感もあり。馬を停むは、「走馬観花」が栄華を謳ふ辭なると比べ、凱旋将軍の姿にもあらず。さらに低徊とは、頭を垂れ逍遥することにて、雄師百萬の帥たるべき大將の窮境孤獨のありさまに他ならず。昂揚したる第一首に比べ、第二首は陰慘なり。かくの如き軍人の偶成詩にも、明治の古武士の浪漫の去りて、昭和の組織人の苦惱慘憺たるを觀るを得たり。


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