岡崎久彦 - 蹇蹇録 - 其の三十七
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『蹇蹇録』 其の三十七 岡崎久彦


 蹇蹇録はかくの如く、政府批判囂々たる中に執筆されしものなり。その絶筆に當り陸奧は、「そもそも余が本篇を起草する目的は、昨年朝鮮の内亂以來延(ひ)いて征清の役に及び竟に三國干渉の事あるに至るの間、紛糾複雜を極めたる外交の顛末を概敍し、以て外年の遺忘に備へんと欲するのみ。滔々たる世上の徒と共にその是非得失を辯論爭議するは素より余が志に非ず。しかれども政府がかかる非常の時に際會して非常の事を斷行するに方り、深く内外の形勢に斟酌し遠く將來の利害を較量し、審議精慮いやしくも施爲を試み得らるべき計策は一としてこれを試みざるなく、遂に危機一髮の間に処し、時難を匡救し國安民利を保持するの道ここに存すと自信し、以てこれを斷行するに至りたる事由は、余また湮晦(いんかい)に付するを得ざりしなり。」と蹇蹇録執筆の動機を明らかにし、そして卷末を「畢竟我にありてはその進むべき地に進み、その止まざるを得ざる所に止まりたるものなり。余は當時何人を以てこの局に當らしむるもまた決して他策なかりしを信ぜんと欲す。」と結べり。


 蹇蹇録完成後一年餘にして陸奧は歿す。憂國慨世の氣力最期の際(きは)まで衰へざりしも、積年の國事盡瘁と宿痾に消耗せし健康これを支ふる能はざりしなり。しかれども大日本帝國を興せしその鴻業と稀世の名備忘録蹇蹇録とは、永久(とは)に陸奧の名を青史に留むべし。


   (完)


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