侃々院>[企業統治に關する考察]森本昌義
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國語議聯その二・法律の文章 谷田貝常夫


 平成二十年に本議聯發足せる當初からの目的とするところは一貫してをり、變はることなし。國語や言葉の問題をとりあぐれば、課題果てしなく、兔角に複雜なる議論生じて目標を見失ひ勝ちとなること必定、されば抽象的なるお題目にてはなく、具體的なる二點に絞りたるものなり。即ち
一、 穴あき五十音圖の是正(「ゐ」と「ゑ」の學習)
*現在の小學校においては、「五十音圖」なる語避けられ、教室にては「ひらがなの表」などと稱せらるる紙の、壁に張出さるゝこと多けれど、カタカナは示されず、ヤ行ワ行の五ヶ所に穴あく。括弧つきのい、え、は書き表はさるゝことあれども「ゐ」「ゑ」は示されぬ。教科書、辭典にもかかる表あることよく見掛けらるることなれば、穴あける箇所を埋めて學習せらるべきとは、この條の意圖なり。
二、國歌君が代(歌詞)表記の是正(別記第二の改正)
*「君が代」の歌詞中、「いわお」とあるは意味不明、生徒は「岩音鳴りて」と解釋するが普通といふ。この語、奈良時代より「いはほ」と書かれ、「岩のひいでたるもの」の意とさるれば、傳統、古典を大切にすと公言せる文部省が方針に違背すること明白なり。
この二にある、「別記第二」とは、平成十一年に制定されたる法律第百二十七號「国旗及び国歌に関する法律」中のものにて、「君が代」の歌詞規定されたるが、そこにおいては、傳統的表記を踏みにじりて、古語表記の「いはほ」が恣意的に「いわお」と改惡せられたり。
この國旗・國歌を規定せむとする法律に二つの問題點あり。そもそも、國歌國旗のあることは國民の常識ないし無意識界に存するが本來なれば、法的の強制は不用なるものなり。かかるを、戰後の教育界においては淺薄なる歴史觀しか持ち得ず、己れの國なるはずの日本國に對し、惡意を示すことをもて生活の資とせる教員の集團組織が、日本の國歌國旗を踏みにじるを生徒に強要し續けたるがために、生徒達に大なる弊害を與へたること一般國民の目に明々白々たり。已むを得ず法的にかかる惡弊斷たんとしたるは、已むを得ざることといふべし。
今一つの問題點は、法律文そのものにあり。この法律制定にあたり、衆議院内閣委員會におきてその點を指摘せるは西村眞悟議員なり。まづは法律文を擧げん。
第一条  国旗は、日章旗とする。
第二条  国歌は、君が代とする。
この法律文に對し西村議員は、「『國旗は日章旗とする。國歌は君が代とする』はをかしい。平成十一年の時點で、日章旗が國旗とされ、君が代が國歌とされたのではない。遙か以前から、國旗は日の丸、國歌は君が代だつた。從つて『國旗は日章旗である。國歌は君が代である』とすべきである。それを官僚があたかも自分が國旗と國歌を制定したやうに答辯するのである」と眞に核心を衝きたる、しかも日本官僚の無意識の世界を抉剔せる發言をなせることに深甚の敬意を表せしものなり。
法律に疎き筆者は、「我輩は猫である」なる類の命題文が法律文たりうるか判然とせぬところなれど、現行憲法第四十一條に「國會は、國權の最高機關であつて、國の唯一の立法機關である。」とあれば、「「國歌は君が代である。」は、法律文として十全の資格を有すとなし得。ひと頃『するとなるの言語學』なる池上嘉彦の著作により、日本語と英語、延いては日本文化と西歐文化の差異の論かまびすかりし。單純に約せば、英語は「する言語」にて、他動詞を多用し、無生物主語をとるに對し、日本語は「なる言語」にて自動詞多用し、人間主語をとるといふものなり。されどこの日本語の「する」、自動詞に多く用ゐらるゝは確かなれども多義にて、英語の傾向の如く他動詞にて、人間主語をとることあり。辭書の説明に曰く、「に」「と」などの後につけて「或る状態にならせる」の意となると。つまり使役の意に使はるゝことありといふ。この「國歌は、君が代とする」なる法律文、その典型ならむ。「人間主語」が、君が代を國歌にさす、その際の主語は官僚ならむとする西村眞悟議員の推測まことに正鵠を射たり。「日章旗」なる語をわざわざ用ゐたるところにも「日の丸」といふ語に對する内々の抵抗感じられ、かくて君が代の、古語を枉げて「いわお」に至りたること、同じ心情ならずや。
この法律、當初の目的通りの運用なされをるは結構なりといふべけれど、現行憲法なりの惡文とまでは行かぬにせよ、日本語としては不適切にて、陰險なる底意のちらつきて、日本國に對する愛情有りとはつゆ思はれず。早々に改訂さるべきものにて、ここに國語議連の果すべき役割あり。解決策に二つあり、ひとつは官僚が己が謬りを認めて自主的に訂正す、今一つは議員立法にて訂正することなり。されど、官僚側に訂正の動きさらさら無く、一方國語議連もこの六年の政情を眺むるに議員の變動も多く、議員立法の可能性もかなり低きものと思はざるを得ぬ。一旦施行せられたる法律を變へること、如何に難かるかを痛感させらる。


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