侃々院>[企業統治に關する考察]森本昌義
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企業統治に關する考察  森本昌義


 夫れ、「企業統治」の語は新聞紙上に登場すること多かれど、その意味するところは論者により異なれり。企業統治は英語Corporate Governanceの譯語にて、governにあたる和語としては「統治す」が最も近き概念なるがゆゑに、かくの如き造語の生まれしか。 さりとて、「統治」の語はわが國におきては專ら政治的用語として用ゐらるるを常とし、私人・企業の行動と結び附くるに難きものなり。 加へて經濟學者、經營學者、法律家、經營者そして立法機關などこれかれ專門分野におきて經營組織かくあるべきとの思ひを述ぶれば、さらなる混亂を招きたるなりと愚考せり。


吾人は「企業統治」を「株主より委任を受けいかに經營を行ふか、につきて各社ごとに作成したる規範なり」と定義するものなり。 そもそも、先づ株主の利益を圖り、經營における多數の利害關係者の安寧を計るこそ、企業の目的なれ。 持續的にこの目的を果たさんと自主的に規範をつくるといへども、法律の要求せるところとは違ふべからず。 企業經營、なかんづく上場しあまたの投資家より資金を集むる企業の健全なる經營は國家の一大關心事なること言を俟たず。 商法の度重なる改正、會社法の制定行はれし所以なり。


バブルの崩壞せしあと企業不祥事件の多く發生したるに鑑み政府は監査役の強化を圖り、不當なる企業活動を規制するのみならず、その效率化を圖りさらなる企業發展を支援すべく、平成拾八年會社法を制定したり。 會社法は、會社役員の責任を監督責任と執行責任に分くとともに、役員の組織につきては從來どほり取締役會のほか監査役を置きたる會社に加へ、新たに取締役會の中に指名・監査・報酬の三委員會及び執行役を設置する委員會設置會社を認むることとなりぬ。 さらに大會社の監査役は三名以上にしてその半數は「社外監査役」たるべきこと、及び委員會設置會社における委員會の委員の半數以上は社外取締役たるべきことを要求す。これ、社内役員に比べ經營陣の支配を受くること少なしと考へらるる「社外」役員に、株主になり代はりて經營の現場にて經營陣を監視するを期待せんがためなり。さらにいかなる組織も強固になればなるほど、組織の内部のみにて通用する考へ方や價値觀の生まるること、これ歴史の證明するところなるが故に、「社外」取締役は社會通念の視點より經營を監督せざるべからず。
法は「社外」とは現在及び過去において當該會社またはその子會社の經營にあたらざりしもの、と定むるも、眞に經營陣より金錢面のみならず心理的にも支配されざることが望ましと考ふる東京證券取引所は、加へて親會社や重要なる取引先の役員またはそれらの親族にあらざること、を求むるに至れり。 これ「獨立」役員と稱し、來年六月以降は上場企業におきては獨立役員を確保するを求め、萬一確保できずば、上場規則違反とせむ、とするなり。


「獨立」取締役の概念は亞米利加合衆國において發達せしものなりて、彼の地の社會・文化環境に據るところ大なり。 業績落ち込み株價の下落するにより株主を滿足させ得ざる經營者は、業務懈怠あるいは重大なる過失を犯せりとて株主より訴へらるる憂き目に遭ふことの多かるに、「己の支配下になき『獨立』取締役の意見も十分徴せしあとに意思決定したるにつき經營者の個人的責任は問はるるべからず」、と經營者の抗辯し得る餘地を殘さんがためのものになりて、裁判所におきても採用されし概念なり、と聞く。
現在合衆國にて重大なる品質問題を起したるトヨタ本社の取締役會におきては直近まではひとりの社外取締役も在らず。 その理由は、「トヨタには『問題解決と再發防止を優先する』獨自の企業風土がありて『品質は工場で造り込む』といふ考へ方のもと、日々の業務から、その業務の質を向上させていく取り組みがガバナンスの強化につながつてゐると言へます」(トヨタのサステナビリティレポートより)にあり。 社外取締役在りせば品質問題の起らざりしか否かは檢證する術なきも、トヨタ本社が從前よりかくの如き現場主義を標榜せるの結果、車の安全に關する一般社會の目をも意識して判斷しうる社外取締役の一名も在らざりしことに、合衆國の法律家は疑惑を抱かん、とは吾人の憂ふところなり。


トヨタに見るが如く、現場主義はわが國産業の強みなりとする一方、先に述べしごとく、會社の常識は社會の非常識とみなさるべきこと多々在り、これを防ぐ有效なる方策として、わが國におきても「獨立役員」の制度に期待するところ多からん、と愚考するなり。 これ、まさに企業内部でのグローバライゼーションと呼ぶべきか。
              (その壹 終はり)


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