侃々院>[「爾今十年」――戰前否定の否定――]稻垣 直
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「爾今十年」――戰前否定の否定―― 稻垣 直


 誰か云ふ。昭和戰前を以て〃暗き谷間の時代〃と。この語一度び出づるや滿天下を風靡し今や殆ど常識の如くなりたり。而してその淵源を尋ぬるに嘗て東京大學總長たりし大河内一男氏の言にあるものの如し。


 顧みるに戰後の東大總長たる、遠きは全面講和論を唱へて曲學阿世の名を得たる南原繁氏あり、近きは女系天皇なる妄語を發して世人を顰蹙せしめたる吉川弘之氏あり。要するに俗的表現を以てすれば〃戰後の東大總長には碌なる人物なし〃と謂ふも可ならん歟。


 それは冗語として本題に戻らん。果して戰前は〃暗き谷間の時代〃即ち一種の暗黒時代として葬り去らるゝ可きや。慥に偏向思想を抱き、官憲より彈壓せられたる人々にとりては暗黒時代の語は相應しからんも、思想問題に關心も關聯も無き一般人士にとりては暗くも非ざれば谷間に逼塞せしめられたる感も無し。寧ろ明治維新に端を發したる日本近代化の潮流が一應の成果を見るに至りたる時代なり。


 明治初年は諸般盡く歐米人の指導に俟たざるを得ず、所謂〃お傭ひ外人〃の薫陶を受けたる時期なるも、その後は漸く夫れを脱し、日本人自身の工業技術は隆々たる發展を遂げ、その需要の大部分を國産品にて賄ひ得るに至れり。


 例を航空工業に採らん。その搖籃期を脱せし後、九六式或は九七式等と稱せらるゝ世代よりは日本獨自の設計に成れる機種續出し、遂に海軍零式艦上戰鬪機に至りて世界の水準を拔くに至れり。思ふ、朝日新聞社の「神風」號東京・倫敦間を九四時間餘を以て翔破し世界を驚嘆せしめし事を。又、東京日日新聞社の「日本」號世界一周飛行の偉業を達成せるは日本航空界の爲に萬丈の氣を吐けるものと謂ふ可し。


 航空機・艦船の優劣を論ひて晏如たるは些か兒戲に類すると謂ふ可き歟。學術研究の大發展こそ論ず可き至上の命題なれ。この方面に於ても亦明治初年は歐米の領導下に在りたるも、昭和に至りてその羈絆を脱して獨自の境地を展開するに至れり。原子構造を攻究せる長岡半太郎の卓見は早く明治末年の事なれども、その後輩たる湯川秀樹、朝永振一郎の業績は孰れも昭和戰前に屬す。今日、全世界に展開せるヴィタミン學の濫觴は我が鈴木梅太郎に求む可く、その門弟等の活躍も亦多くは昭和戰前に在り。


 政治・軍事上の發展は云ふも更なり。かの日清・日露の兩戰役、韓國との合邦に依りて亞細亞大陸への進出成り、又、第一次大戰の結果、南洋諸島の一部をも併せて、皇威の遍く處大陸より太平洋の一角に及べり。


 滿洲事變を契機として滿洲帝國成立するも世人多くは是を以て日本の中國侵略と爲す。嗤ふ可し、滿洲は滿洲人の所有にして、嘗て漢人がその實力を以て滿洲の地を經略せし事莫し。その支那と一體と成れるは滿洲の地に崛起せる清朝が支那大陸に侵入且是を征服せし事に依りて生ぜる自然の状態なり。謂はば滿洲國王が中華皇帝を兼任したるものとも表現し得可し。されば「滅滿興漢」の大旆を樹てゝ清朝を打倒せる後は、清朝の末裔に滿洲の地を返還す可き道理なり。それをせず恰も滿洲を以て先祖傳來の地の如く扱ふ。その強慾天下に比するものなく、中共こそ滿洲の地を侵掠せるものと謂ふ可し。


 しかも支那人の反日妄動は已に大正年間より起りしが日を逐ふて旺となり、遂に通州事件に至りて多數の日本人虐殺せられその状酸鼻を極む。茲に於て〃暴支膺懲〃の聲起り、皇師一度び動いて支那主要都市の全てを攻略、蒋介石をして重慶の奧地に遁竄せしむ。


 然るにその重慶政權の取扱ひを巡りて日米兩國衝突し、兩者間に戰端開かる。當初は日本軍優勢なりしも講和の時機を失し、米軍の反攻の前に漸次後退を餘儀なくせられ、遂に無條件降状の屈辱を甘受するに及べり。


 敗殘の日本に進入せる占領軍、ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラムを基盤として日本人の洗腦を圖り、是に惑溺せられたる者、今日の悲境の原因として只管に自國の軍部を憎惡し而して戰前日本を以て暗黒時代に在りたるものと觀ずるに至る。


 抑自國の歴史を貶し、それを泥土に委して恬然たる國民に將來の生成發展を期するを得んや。昭和戰前もとより十全に非ずと雖も猶誇るに足る可き多くを有せる事上述する處にその一端を示せるが如し。然も戰前暗黒時代史觀に基く自虐思想を國民の腦裏より拂拭するは容易なる業に非ず。その際最も信倚す可きは戰前の日本を體驗し且戰後の日本をも見聞し兩者の相違の霄壤の差に均しきを論じ得る世代なり。しかるに爾今十年餘を以てこの世代は消滅するの他なきを奈何せん。是を以て視れば爾今十年は邦家の隆替を決す可き至重の期間なり。日本海海戰に於ける東郷長官の心事に擬すれば「皇國ノ興廢ハコノ十年ニ在リ」と稱す可き歟。もしこの十年の裡に興隆の兆微かりせば祖國は三流小國の淵に沈淪せざるを得ざらん。


 更に云はん。この危機に處するには國際情勢への配慮も忽諸に附する可からずと。即ち共産支那の著しき勢力伸張に對しては姑く米國に膝を屈し、その力を藉りて拮抗せざるを得ず。Pax Americana 我は敢へて惧れず。我は惧る Pax Sinica の現前せん事を。米國を主とし、是に印度、濠州を加へ、更に英國との連携を密にして一箇の聯盟たらしむるを得ば、『混同祕策』豈同日の談ならんや。


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