侃々院>[優遊の人 良寛がこと]飯田 眞
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優遊の人 良寛がこと  飯田 眞


 毎年一月には新潟に出向きて講義するを例とせり。今年は新潟に所縁深き良寛を話題とせるも、中に良寛なる人物の存在を知らぬ學生のをりしには驚ろかれぬ。余かつて良寛につきて精神醫學の立場より獨自の小論發表せしことあり(良寛誌 十二号、一九八七)。そを蹈まへて良寛の生涯を眺むるに、前半生に精神の危機に直面せることはあれど、精神疾患にかかりたる事實を見出すこと能はず。晩年には人格円熟し、自然・世間・自己にとらはるることなく、「優遊」と自在に生くる心境に達せりとの印象を受く。


 往時の余が小論には、良寛を統合失調症の發病を免れたる統合失調氣質者ならむかてふ假設樹て、良寛に統合失調氣質たることを思はする證據、若干なれど擧げ得たり。越後は、冬の雪や風はいふも更なり、夏の蒸し暑さも耐へがたきほどに氣候は嚴しき地なり。良寛の生ける時代、信濃川はしばしば氾濫し、人は食糧飢謹に見舞はる。斯かる極惡の自然、社會環境にありながら良寛は、國上山の五合庵てふ狹小なる方丈の空間に二十年獨居し、心身の健康を維持しえたり。そは一種の奇跡といふべし。、その奇跡、如何にして生ぜしか。


 斯かる奇跡の生ぜんがためには、過酷なる物理的環境、孤独なる対友的環境に耐へえらるる氣質の人間にてあらねばならぬし、自活するに手立てなき人間なれば、生活は周圍の人達の好意に依存するよりなければ、周圍の人々が存在を許容し、庇護せんとする氣持を起こすに足る人徳の備はれる人間ならざるを得ず。かくの如き條件を滿たし得る人間を精神醫學の面より探さんとせば、統合失調氣質を持てる人物なるべき可能性大なり。


良寛が風貌及び人物像を傳ふる文書「良寛禪師奇話」を讀むに、「師神氣内に充ちて秀発す。……長大にして清郁&M022634;、隆準にして鳳眼」とあり、さすれば、良寛が容貌には氣品あり、脊高くして痩身、鼻筋通りて彫り深き顔なれるものの如し。更に同書に「師余が家に信宿日を重ぬ。上下自づから和睦し、和氣家に充ち、歸去ると云へども數日の内人自ら和す。師と語ること一夕すれば、胸襟清きこと覺ゆ」とあり、良寛の滯在せることのみにて數日の間、その家の人達の氣持なごみ、話を聴けば心清められたる心性となりたりといふ。人間的魅力ある人物なること知らる。


 良寛の描けるものとされたる自画像の賛に「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとりあそびぞ我はまされる」との歌ありて、孤獨を愛する統合失調氣質の特性よく讀取らる。


 良寛が日常生活を知らんとするに重要なる資料に「戒語」「愛語」あり。「戒語」は、良寛の世人に對する九十條に及べる戒めの言葉なるが、同時に良寛の自戒の言葉にてもあり。そが戒語には、平隠なる人問關係を維持せむがために注意すべき條々が餘すところなく示されをり、良寛の聡明なる人生知を知ることを得。たとへば、「言葉の多き、口のはやき、とはずがたり、さしで口、手柄話」などにて、ここに統合失調氣質者の用心深き對人配慮見出さる。


 「愛語」とは菩薩が衆生を攝取する四法の一つにて、道元が著はせる正法眼蔵の一節に見らるゝもの、そを良寛自ら寫しとりたり。「愛語とは衆生をみるに、まず自愛の心をおこし、顧愛の言語を施すなり」とあり、禪僧としての良寛が實践の理念、ここにありと思はれ、


 宗教的なる理念によりて己を嚴しく律する統合失調氣質者たる特徴見らる。


 統合失調氣質を持てる良寛にありては、鈍感性よりは敏感性優位の人物にて、周圍の入達の苦惱に適切に對應せる様、良寛が書翰中に書かれをり。櫻井浩治氏が『乞食の歌』(考古堂、二〇〇六)より引用せば、近隣なる三條の大地震後、山田杜皐に宛たる見舞の手紙に「災難に逢ふ時節には逢ふがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是ハこれ災難を逃るる妙法にて候」とあり。逆説的なる表現なれど、運命に任せて生きることの大切さ語らる。


 又、病みゐる解良淑問宛書翰には「……さて、ご氣分は如何候や ご治療遊ばされ候ても然かるべく候 酒食に御心付成さるべく候 物に屈託セぬよふに成さるべく候 一つはとどこふり かと思候へば・・・若菜摘むころ參上致し御清話申上ぐべく候」とあり、醫師を受診し、酒食に注意し、物事にくよくよせざるやうすすめ、氣持ちの停滞かと思はるるゆゑ、近く話に行くつもりなり、と述べられたり。


 良寛が自らに試み、他人にも薦めたるは、白隱禪師の著書「夜船閑話」中の内觀の法及び軟酥の法にて(伊豆山格堂)、こは現代の自律訓練法やイメージ療法に類似せる方法なり。良寛が七十四歳の天壽を全うせる背景には、内觀の法や軟酥の法を實踐しながら、心身への愼重なる配慮を怠らざる事實のありしことを知り、私自身の殘されたる人生を生くる智慧を良寛より與へられたりと言ふべし。(二〇〇八・三・五)


〔注〕ドイツの著名なる精神醫學者・クレッチマーは人間を体格と性格から、統合失調氣質・躁鬱氣質・癲癇氣質の三つのタイプに分類せり。統合失調氣質は、体型は瘠せ型、非社交的・内向的・まじめにて、敏感なる面と鈍感なる面を併せ持つ。


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