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原子力政策 市川 浩


 菅總理福島原發事故以來、我が國のエネルギー政策の白紙見直しを表明し來れるを、七月十三日自ら記者會見を行ひ、原發に依存せざる社會への移行を結論すと明言す。翌翌日、此の發言は總理の個人的の見解にて内閣の方針を示すに非ずとの釋明ありたるも、原子力擔當の細野大臣、内容は今後愼重に檢討する要あるも方向としては正しと發言す(NHKニュースウオッチナイン)。即ち、白紙とは言ひ條、この間如何なる基本的論議行はれたるや聞かざるに、輿論は一足先に過半數「脱原發」に傾くと云ひ、「脱原發」は既定の事實となれり。
 かかる情勢下、無論太陽、風力の利用喫緊の課題たるを疑はざるも、茲に敢て原發必要論を展ぶるは、今日の論議大局を見ざるの觀あればなり。即ち、この地球に住む七十億人が必要とするエネルギーを賄ふに石油は既に埋藏量の限界が見え、且つその燃燒により生ずる二酸化炭素の温室效果も懸念せらるゝ所なり。原子力は此の莫大なるエネルギー源を代替し得る適性大規模の資源の一にして、、これが有效且つ安全なる利用開發こそこれまで石油の恩惠を享受し來たれる先進國の責務なるべけれ。
 然りながら「有效且つ安全」言ふは易きも、實現には高度の技術力を要す。特に安全技術は二十四時間三百六十五日の間斷なき操業を通しての研鑽、研究を通してのみ獲得せらるゝ物なり。我が國四十年間の原發操業にしてなほ今次の事故の處理を失するは、我原發技術未だ世界の水準に屆かずとの評價免れざるを憾む。その上に、基本方針として脱原發とならば第一新卒の原子力技術者は最早無く、既成の技術者も。廢爐までの冷却作業を見守るのみとなり、技術は日毎に失はれむ。かかる時、外國にて新しき原子力活用の技術花咲くとも、我が國は政策上のみならず技術的にもこれらの動きに協力する能はず、單なるエネルギー消費國になり下るべし。
 かかる議論の上に、エネルギーを長期安定的に確保すべき國家戰略の視點を要するに、節電及び太陽光發電等により原發なくとも供給可能なりとの論、既にテレビに散見するに至る。これ等の論者、罰金附きの電力使用制限令の下、需要増のありても増産不可能の現状を故意にか無視す。嘗て南部佛印進駐の結果、石油の入手困難と爲るや、「贅澤は敵だ」とて國民に節約を強制し、果ては石油に代ふるに「松根油」を獎勵す。この儘「原發解散」とならば、メディアは不偏不黨を理由に選擧期間中は有識者に依る神劍なる議論も取上ぐる能はざれば、脱原發の「翼贊選擧」とならむは必定、我が國將來の禍根となるを憂ふるのみ。


(平成二十三年七月二十四日)


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