侃々院>[民主主義]愛甲次郎 |
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民主主義 愛甲次郎 先日は玉稿ご送付給り洵に忝く存じ候。卓見痛く感じ入り候。 小生も在米中種々感ずる処ありし次第なれば特に民主主義に関し茲に二三卑見を申し陳べご批正頂戴仕りたく存じ候。 小生華盛頓在勤の折連邦政府予算大幅削減の事あり、ストックマン予算局長大鉈を揮ひて政府職員六万人解雇せられき。当時小生大いに驚きたるはテレビの取材を受けたる元政府職員笑みを浮かべつつ「また職を探さにゃ」と屈託なげに応じたることなり。 これ我国のことならば驚天動地の大事件ならむに、彼我の国情の違ひかほどに大なるは何等かの理由無かるべからず。つらつら惟ふに彼の国に於ては職を失ふはいと易けれどこれを得るに於てもまた等しく易し。我国にては終身雇用制の故に、給料取多くは大学卒業の際就職せし企業に定年に至るまで留り、所謂労働市場は新卒の年齢層以外には全く存せず。容易に解雇せられぬ反面一旦職を失ひたる時はほぼ路頭に迷ふこと疑ひなし。 かかる彼我の国情の差は民主主義の在り方にも大いなる影響を及ぼさざるをべからず。米国に於ては雇用の安定は国家の責任なり。日本に於ては一次的には企業の責任とせらる(国の責任は二次的となる)。従ひて当然の帰結として社員はその職を奉ずる会社の存立に多大なる関心を有するに反し国の経済政策にはさしたる関心を示さず。之に比し米国に於ては再就職の機会を大きく左右すべき経済政策に対し多大の関心を有するなり。 小生嘗て科威得に在りしとき現地の米国民主党の党支部に招かれ講演をなせしことありき。然るに小生の講演は言はば刺身のつまにして、その会合の主題は次期総選挙にていづくに票を投ずべきかの討論なりけり。かの吝嗇なるアメリカ人の会費二弗を払ひサンドイッチを頬張りつつ白熱する議論をなすを見て、民主主義の根柢を看破せる想ひを深うす。米国人に取りては政治は絵空事に非ず。 かかる民主主義の素地ありて始めて政党は利益誘導を捨てて政策誘導の立脚点を得るなり。当初我国にも二大政党の時代遂に来たるかと期待を抱かせし民主党も、曽っての社会党の如く自らが政権を取りたる暁に矛盾を来たすこと必定なる主張を為すに至り、失望の念巷に瀰漫せり。米国に於てはかかる無責任なる態度投票民これを許さず。 華盛頓にては小生の子女現地の公立学校に通学せり。その教程を見るに一例を挙ぐれば英語は国語に非ず。 Art of language と称するなり。即ち言語技術なり。その中に於て会議の進め方も重要なる課題の一つにして単に議論の内容のみならず手続もディベートの基礎としてこれを習得せしむ。小学校の段階よりかかる訓練を経てこそ民主主義は根付くものなれ。 古き米国映画にしてヘンリーフォンダ主役を演ずる「怒れる十二人の男」なるものありき。陪審員の制度近く我国にも導入せらる予定なるも、かの映画に見る米国民の政治的成熟度は我国民に期待すべくも非ず。形の上にては同じ民主主義なれどその土壌の深さに於て彼我の差はこれを論ずるに言葉を失ふ。 松山幸雄様 ▼「侃々院」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |