侃々院>[近衞上奏文]解説 市川 浩
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近衞上奏文解説 市川 浩



■第四囘


ソ聯ハ究極ニ於テ世界赤化政策ヲ捨テサルハ最近歐洲諸國ニ對スル露骨ナル策動ニヨリ明瞭トナリツツアル次第ニ御座候。ソ聯ハ歐洲ニ於テ其ノ周邊諸國ニハソヴィエット的政權ヲ爾餘ノ諸國ニハ少クトモ親ソ容共政權ヲ樹立セントシ、着々其ノ工作ヲ進メ、現ニ大部分成功ヲ見ツツアル現状ニ有之候。


「ソビエット的政權ヲ」にて一旦句點を插入すべきところ。


ソ聯は昭和十八年年初、スターリングラード(現ボルゴグラード)にて獨軍を撃摧以來、勢力を挽囘し昭和十九年に入るやルーマニア(四月二日)、ブルガリア(九月五日)に進攻、更にユーゴスラビア(十月二十日)、ポーランド(同二十年一月十七日)、ハンガリー(二月十三日)更にこの後同年四月十三日にはオーストリアの各首都を占領せり。戰後もこれら諸國を實質的支配し、冷戰構造の基礎となせるは、結果としてヒトラー巨利をスターリンに與へたりといふべし。


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