侃々院>[近衞上奏文]解説 市川 浩
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近衞上奏文解説 市川 浩



■第十一囘


不肖二度マテ組閣ノ大命ヲ拜シタルカ國内ノ相剋摩擦ヲ避ケンカ爲出來ルタケ是等革新論者ノ主張ヲ容レテ 擧國一體ノ實ヲ擧ケント焦慮セルノ結果、彼等ノ主張ノ背後ニ潜メル意圖ヲ十分ニ看取スル能ハサリシハ、全ク不明ノ致ス所ニシテ 何トモ申譯無之深ク責任ヲ感スル次第ニ御座候。


「出來ルダケ」、文語にては「能ふる限り」、「出來得る限り」が普通。


近衞は昭和十二年第一次近衞内閣以來、 宰相の印綬を佩ぶること三度(第一次六月四日〜同十四年一月四日まで、第二、三次同十五年七月二十二日〜同十六年十月十七日まで)、 支那事變より大東亞戰爭に至る四年有餘の間延べ二年十ヵ月に亙り國政の樞機に與れり。 最後の總辭職はゾルゲ・尾崎機關摘發逮捕の二日後にて、前段の「此結論ノ鏡ニカケテ過去十年間ノ動キヲ照ラシ見ル時、 ソコニ思ヒ當ル節々頗ル多キ」に符合す。


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