加藤淳平 - 日本の文化傳統、如何にして切斷せられしや(後篇)- 二十五 |
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日本の文化傳統、 如何にして切斷せられしや(後篇) 加藤淳平 二十五 日本の問題と國際情勢の變化 「戰後思想」、「變異戰後思想」、共に日本の問題を「國際的」に見るを特徴とす。されど茲に註記の要あり。「國際的」と言ふは、眞に國際的なるに非ず。歐米的に、即ち歐米人が視點より、と言ふに等し。斯る習性の占領期占領政策に起因すること、學界、言論界等、「戰後思想」を信奉せる人等に著しきこと、言はずもがなならむ。 「戰後思想」、「變異戰後思想」ありし故に、この人等、日本の問題を日本の現實の中に置きて、原因を考究する能はずして、短絡的に、歐州の問題に 政治の局面にありては、戰後の日本に、歐州と等しき自由主義、社會主義の思想的對立ありと幻想せり。歐州と同樣の思想的基盤を有するやに見えたる自由民主黨、社會黨・共産黨の、日本に於ても、長く對立せる所以なり。 但し此の自由主義政黨、社會主義政黨の對立は、表面的建前に過ぎず。自由主義と社會主義の對立と見ゆるも、實は、日本の現實に起因せる様々なる對立なりき。一例を擧ぐるに、米企業と提携し、米國の技術・制度を日本に導入せんとする大企業に違和感を覺ゆる人等、社會黨・共産黨に投票す。ただ 之が爲、一九八〇年代末より九〇年代初頭に掛けたる國際情勢變化、歐州に於る「冷戰」終結と、露國の米國への屈服、直ちに日本の國内政治に影響す。日本國内にて、反米勢力と目されたる社會黨・共産黨は、多大なる打撃を被りぬ。 ▼「侃々院」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |