逆旅舎>王蒼海:維納(ヰ゛ーン)故事 第十二回
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維納故事  王蒼海



第拾貳回・・カフカの城 見果てぬ夢   (止)


 フランツ・カフカは、晩年維納郊外の結核療養院に滯在し、そこでにて不歸の客となれりと謂ふ。 その跡を探るに、維納北郊外のクロスタア・ノイブルクの更に先にある一農村にその療養院の跡今に殘れり。 二〇〇三年に至りて超級市場出來し稍騷がしくなりにけれど、放牧地と維納の森に圍まれ空氣爽快にして、 結核の療養には宣しからん。その傍らに、一八九〇年創建の大規模なる神經病院、今も多瑙河沿ひにあり、 世紀末維納の神經衰弱を癒す所にして、維納の森なくして維城なかるべきを知る。


 冬は牧草地の斜面多く、子らの多く橇にて思ひ思ひに遊ぶ樣、可憐なり。雪景色も格別にて、 氷点下十五度以下の寒冷なれば雪の結晶さながらに天より降るさま、漢詩の語に曰く「雪花を飄す」といふものなり。 一日、子供を連れ雪遊びをせんと至るに、墺國の子らは皆橇で遊ぶに、困窮流浪の身なれば子供に橇を買い與へる暇もなく、 子供は指を銜えて羨望せしが、ある若い母親と子供の近寄りて、これにてともに遊ぶべしと橇を指し示すことあり。 子供の純粹無垢なる碧眼と若い母親の人情味に眞に感銘を受けたり。郊外にては素朴なる親切心が殘れる故に、 この森の中の村に毎週の如く通ふこととなれり。


 森の中に入れば、翁媼の營める柴の折戸の如き小さき野菜屋臺あり、農家の直營にして、野菜、果物、蜂蜜、 罌粟餡巻餅(Mohnstruhdel)など手作りの菓子、地酒葡萄酒、生酪(Mozzarella)など低廉新鮮なることまことに良し。 媼曰く、馬鈴薯に圓形種(Runde)あり、煮つころがしにはこれが良しなどとの勸めを受くれば、誠に美味なり。


 村邑の街道沿ひに連なるは全てクロスターノイブルク聖堂の膝元にして、一體は宗教心厚く、教會の活動も盛んなること、 維納城内とは樣相を全く異にせり。


 カフカは、結核療養院にてその絶筆たる未完の小説「城」に臨終まで朱を入れたりと謂ふ。 その「城」には特定の模範はなしと謂はるるも、門外漢には、カフカが絶命の直前まで目にしてをりしはずの クロスタア・ノイブルク城を彷彿とせざるを得ず。


 城は、ハプスブルク帝國絶頂期、神聖羅馬皇帝カアル六世の建設にして、青を吹きたる丸屋根に帝冠を模し、 神聖羅馬皇帝及び墺太利大公の冠の奉安殿たりし名城なり。クロスタアとは修道院也。ノイブルクとは新城なり。 城は大聖堂と隣接し、祭政一致の理念に基づき築城せりと傳ふ。 また、大きなる葡萄酒蔵あり、寺内にて葡萄酒の釀造を行ひ、巡禮の接待などに當たる勧進元(シュティフト) などにて今猶是をる。


 維城あるいは鹽城から坦々たる街道を通れば、一里先より巍巍たる城山に聳ゆる本丸と大聖堂を望むこと容易なり。 しかるに、城に近附かば、城は城山の影に入り視界から消え、或いは突然現はれ、不可思議の感あり。 城に到る道は中世そのままの小路を通らざるを得ず、更に現在は一方通行も多く、城の前に到ること容易には能はず。 我が國の觀光道路の如く「御城ハ此方」の如き看板は更になく、道を識らざれば、一周してまた元の默阿彌に戻ることもあり。 行き着かざることカフカの「城」に似たり。かくなる構造も故無きに非ず。地方史書("Klosterneuburg, entdecken und erforschen") に據るに、土耳古軍包圍の際に、門前町(Vorstadt)は燒き拂はれたるに、城山の城内は無事なりし由にて、 軍事上の見地から迷宮状の都市計畫をなすものなり。


 更に、城内に入らば徒に廣壯にして、房室相竝び何れが正殿也や良く分からず。しばし城中を迷ふことになるなり。 美泉宮(シヱンブルン)の如く觀光の整備はされてをらず、案内板などそもそもなきが所以なり。拔け道の如き螺旋階段もあり。 此くの如き不可思議なる陶醉感を味ふには最も良き場所にして、庭園に頻りに迷路を造營したる「バロック」時代の精神とは斯く なるものならん。


 長き廊下を歩むに調度家具なども蕩然殘つて居らずただ磨り減りたる大理石の床板のみ殘る。ただ、正殿のみ些か壁畫を存し、 骨董家具を集め小朝廷の形をなすも、憐れむべし床板の鶯張りとなり衰敗の樣、美泉宮、あるいは巴里の凡爾賽宮と比ぶるべくもなし。 但し、玉座の存する正殿、拜謁殿、寢殿、皇后寢殿およびそれらと伺候の間の南面一列の組み合わせは歐州宮廷の基本構造に他ならず。 東洋の九重の宮廷の神祕感はなし。


 歐州宮廷の例の通り、寢殿閨房にも扉無く、「朕は國家なり」と號し天下に公たる君主の晝夜を分かたず威風堂々たるを知る。 しかるに此にては、二〇世紀の神經が及ぶに至り、歐州王家の子孫の乏しく成り行く理由も分からずともなし。


 正殿を出づれば、嘗て帝冠を奉じし大堂なり。丸屋根の直下の吹き拔けのホオルが此なり。見上ぐれば絢爛金彩を施す 天井畫に粉黛臙脂の顏色を傳へるのみ。ホオルは大理石の巨大なる柱が林立せるのみにして、一の調度もなし。絨毯もなし。 燭臺すらなし。かつて奈翁の墺、露の兩帝征伐の折滯在したる由にして、絶頂の榮耀と、衰退の憂愁、人をして百情交々到らしむ。


 此の總大理石のホオルに四五人の墺人の先客有り、雜談せる内にホオルの音響の良きを知り、 たちどころに歌聲にて「ハニホヘトイロハ」と音を合わせ、四人にて「ハホトハ」と和聲をなせり。 ふと、ワグネルの樂劇「ニュルンベルクの親方歌手」の掉尾、「神聖羅馬帝國の雲散霧消すべきとも、 世に獨逸藝術の種ぞ盡きまじ。」(zerging in Dunst das heil'ge rom'sche Reich, uns bliebe gleich die heil'ge deutsch Kunst!) といへるが思ひ出されり。此歐州文明の祕鍵の一ならざるや。
      (終)


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