逆旅舎>泰通信 第四十二號
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泰通信 (第四十三號)


  平成二十二年四月  大口 堂遊


鬱陶しく暑き泰正月


 泰の四月は「暑季」最中にて晝間は四十度近き日々なり。十四、五日はソンクラーンと呼ぶ泰正月、多くの泰人は故郷へ歸り「水掛け祭」を行ふ。盤谷にても貨物自動車の荷臺に水鐵砲を構ふる若者犇き、歡聲を上げ通行人やすれ違ふ車に水を掛く。この水を被らば一年中息災なりと。 泰らしき陽氣なる祭にて、都心部を占據せる「赤シャツ」(反政府派)も、この日は軍や警官隊に水鐵砲を打掛けて戲る。
 「赤シャツ」(タクシン元首相支持派)による特定繁華街(東京に於ける銀座交叉點の如し)占據は三月以降、意外なるしぶとさにて續き、四月十日には軍の排除行動により、日本人カメラマンを含む二十人以上の死者を出し日本にても大きく報ず。
 「ソンクラーン休戰」の期待を裏切り、ソンクラーン後は坐込み範圍を擴大せり。軍によるデモ隊排除の實力行使あらば、更に何十人もの死傷者は不可避となる。
 泰騷亂の今後は、短期的予測は困難なれど、敢て余の「中期的見通し」をお傳へせむ。
 一、騷亂は當分續くべし。現政府は三年前のクーデターにより成立せる合法性疑はしき政府なり。政權の座を不法に追はれしタクシン派の抗議行動は當然の行爲、むしろ遲きに過ぎたりと言ふべし。繁華街の占據も、現政府派による國際空港長期占據の暴擧に較ぶればましなるらむ。
 とは言へ、タクシン派を正義の黨とも言へぬところに問題あり。金權體質露骨にて反王制的言動もあるタクシンを嫌ふ知識人・中間層・メディアも多く、泰在住の長き日本人の大半は「タクシン嫌ひ」なり。
 二、不敬罪の嚴存するこの國に於て外國人の不用意なる發言は愼むべけれど、内證にて言へば此の國を實質的に左右する力ある人物三名あり。クーデターの黒幕と噂のプレム樞密院議長九十歳、國民的人氣あれど健康勝れず入院中の現國王八十二歳、國外にあるタクシン元首相男盛りの六十二歳なり。
 現在はこの三名の力の拮抗の上にての騷亂なり。この拮抗破れぬ間は同樣の抗爭續かむ。タクシンは國外(中東説有力)よりの遠隔指揮なれど、軍部・警察内部には猶隱然たる支持者を持つ。軍の排除行動躊躇ひ勝ちなるはそのためなり。
 デモ隊に一日千五百圓の日當説あり。田舍の日雇仕事より有利なり。一萬人動員すれば一日千五百萬圓、十日で一億五千萬圓なれど、タクシンの資金力にはなほ餘裕ありとする説專らなり。
 三、この邊り高き聲にては言ひ難けれど、年齡を考慮せば、遠からぬ將來この拮抗崩れて大變動起るべし。その變動如何なるや、豫測困難なり。今の抗爭はその「途中經過」の中途半端なる抗爭に過ぎじ。
 四、されど此の國は結局のところ、さして深刻なる状況には陷らぬと豫測す。何せ西歐列強の東洋諸國を征服し盡くしたる近代史に於て唯一征服を免れし奇跡の國なり。
 就中、南方及び印度ビルマ制壓を目指す強大なる日本軍に笑顏にて協力する一方、英國に本據を置く「自由泰」の地下運動と祕かに結び、日本敗戰と同時に連合國側となりし泰の超高等外交術を思ふべし。 柔軟したたかにて明るく、のらりくらりとよく解らぬ國が泰なり。そもそも泰は、外國人に理解し易き國なりしことは無きに非らずや。然れど其れを言ふなら、今の中國も日本も、同じに非らずや。
 五、最後に、この國にて暮す外國人は、當然のことながら政爭には無關係なり。抗爭現場(軍の排除行動に出る虞れある現場)に近づかぬ限り安全なり。最近は赤シャツによる繁華街の一部占據のため、近邊商店の休業や道路封鎖、交通澁滯等の影響は避けがたきものなれど、デモ隊自體はこの時点に於ては市民と手を振合ふ陽氣な泰人に過ぎず。また抗爭は、限られし區域以外の泰庶民の暮しとは關係なく、深夜、街中を歩いても危險を感ずること少なき此の國は、相變らずアジアにて最も安全かつ暮し易き國なるべし。


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