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泰通信 (第四十二號)


  平成二十一年十一月  大口 堂遊


日本兵偲菊の丘


 全山これ花花花……黄金色に輝く黄菊の如き花咲き誇る眺めは、之を見ずして泰を語る勿れと言ひたきほどの感動なり。「ブアトーン」は泰語にて「金色の蓮」、英名はメキシカン・サンフラワーなり。 北部泰の小邑クンユワムの名物にして、十一月を盛りと聞き、折しも訪泰中の泰文學者岩城雄次郎氏に乞ひて同道せり。
 インパール作戰の出撃基地にして敗走日本兵終着の故地なれど、首都盤谷より約千粁、ビルマ國境に近き僻地にて、盤谷より航空機バスを乘り繼ぎても五時間、筆者は節約して盤谷より夜行バスに乘り往きければ十六七時間の行程なり。それ故、訪るる日本人多からず。されど「乾季」の觀光季節、週末の故もありてか、ブアトーンの丘は西洋人、日本人を含む觀光客にて賑ふ。
 六十五年前、敗走兵一萬人弱此の地に辿り着き病歿せり(半數は餓死といふ)といひ、泰人の介護を受けて生き延び結婚せる者も多く、クンユワム中高校には元日本兵の孫十數名はありとも聞く。
 その學校にて二年前より茨城出身の桑原ゆき子師(六十三歳)ただ一人の日本語教師として奉仕活動に勵む。されど昨年よりは廣島出身の井原優氏(六十七歳)も附近の小學校にて算盤を教へ始め、陰に陽に桑原師を助く。三重大學名譽教授梅林正直氏(七十六歳)はこの五月同校を訪れ二百本のマナオ(泰ライム)苗木を寄付、生徒と共に植樹す。歡迎會にて生徒は「ざうさん」「たなばたさま」を日本語にて歌ひ驚かせしが、これも桑原師の指導によるものなり。梅林氏は十五年前より北泰にて芥子に代る梅の植樹活動に勵むと聞く。
 一方徳島ロータリークラブの中山富晴氏(七十六歳)は「鳴門金時」なる甘藷苗を寄付、いづれクンユワムの「一村一品」にと、井原氏と共に普及に勵む。更に同じ頃、同校にて日本語教師の短期奉仕活動をせる勝山正昭氏(五十歳)は、生徒二名を東京の自宅に滯在させ日本の高校を體驗させたしと申し出づ。
 桑原師は「この地の日本人は昨年までは私一人なりしが最近は樣々なる方々が來訪、いと心強し。日本語を懸命に學ぶ生徒はいぢらしく、この土地にて親善の役に立たむとの思ひ強まれり」と目を輝かす。
 前記岩城氏は先年、元日本兵と泰娘の悲戀を主題とする小説の終幕にブアトーンを登場させ「日本兵偲ぶ菊」と名付く。クンユワムの花は今やブアトーンのみに非ず。心ある日本人樣々なる形にて友好の花を咲かせゐるなり。


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