逆旅舎>泰通信 第四十號
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泰通信 (第四十號)


  平成二十一年七月  大口 堂遊


六十五年後の未歸還兵の映畫


 地獄より逃れし兵をひたすらに
包み來りし泰妻の愛 堂遊

 地獄のインパール作戰(*1)より六十五年、生き殘りて泰に幸せに暮す元日本兵六人あり。「花と兵隊」と題する其の記録映畫七月に澁谷にて公開の運びとなる。製作者の若き松林要樹監督を朝日新聞は六月九日付「ひと」欄にて紹介せり。泰に於ける試寫會より感動的内容をお傳へせむ。
 映畫の主人公は、北泰のミャンマー國境にて暮す四人と盤谷在住の二人の計六人。うち二人は製作中に死去、生存者は四人となれり(*2)。
 大東亞戰爭に出陣せる何百萬人もの兵士は、敗戰と同時に捕虜として日本へ強制送還となれり。前記の方々はその前に所屬部隊を離れし脱走兵≠ネり。逮捕・軍法會議の危險を冒し泰人の村落に隱れ住みしものなり。
松林監督は平成十七年より其の方々の家を訪ね、自ら撮影機を廻しつつ三年がかりにて取材せり。先方の家に止宿しての貧乏旅行なりき。
 軍を離れしは如何なる次第にてありしやと監督は問ふ。言ひたくなしと頑なる答。生死を共にせし日本兵同士の信じ難き有樣を見て絶望せりとの答もありき。筆者自身も昨夏、盤谷在住の一人に同じ質問をせしが、同樣に、話したくなしとの答なりき。思ふに戰時下の脱走には、よくよくの事情こそあるらめ。心の闇の深さ如何ばかりか。戰爭のむごさと言ふべし。
然しながら戰後、脱走は不問に附すと聞きし折にも歸國せざりし最大の理由は、日本の家族との絆をも超ゆる泰人妻を始め泰の人々の愛なるらむ。
 孫・子に圍まれて暮す自宅に若き頃の夫婦の寫眞を飾るあり。いづれも美男美女なることに驚く。そして今も仲睦じ。映畫の題「花と兵隊」の「花」は泰の妻を指すといふ。彼のインパール作戰に於ける九萬人近き日本兵の死は悼ましき限りなれど、生き延びて九十歳の幸せの日々を送る元兵士の姿もまた感動的なり。貴重なる記録を殘せし若き監督の勞を多とす。
 インドネシアにては戰後、和蘭國との獨立戰爭に參加せし日本兵九百余人中、生き殘りし三百余人を殘留日本兵≠ニ呼べり。既に大半が死去、朝日新聞ジャカルタ支局によれば生存確認者は、泰と同じ四名なりといふ。現地にて名譽ある待遇を受け、日本政府の敍勳さへありて泰とは大きく事情異れども、
 大東亞戰爭≠謔閧フ未歸還(殘留)日本兵、兩國に計八名健在なりとの報に深き感慨を覺ゆ。
 この貴重なる記録映畫「花と兵隊」に御關心ある向きは左のウエブサイトへ。劇場案内もあり。
 http://www.hanatoheitai.jp/


 (*1)終戰前年の昭和十九年、重慶の中國軍への英軍の物資輸送路遮斷を狙ひ印度の據點インパール制壓を目差せし作戰。充分なる武器食糧を持たぬ兵士を送り込み敗走。九萬人近き戰死者の半數は餓死なりき。世界史上最大の愚戰との評專らなり。


 (*2)北泰の坂井勇さん(平成十九年、九十歳にて死去)、藤田松吉さん(本年一月、九十一歳にて死去)、伊波廣泰さん(八十九歳)、中野彌一郎さん(八十八歳)と、盤谷在住の古山十郎さん(九十二歳)、花岡稔さん(八十六歳)。



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