逆旅舎>泰通信 第三十七號
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泰通信 (第三十七號)


  平成二十一年一月  大口 堂遊(憧遊改め)


王黨派政權の登場にて小康


   空港の無法占據も初昔

 民主主義市民聯合(PAD)を名乘る奇妙なる團體がタクシン元首相派の内閣退陣を要求して十一月末突如スワンナプーム國際空港を占據、外國人旅行客三十五萬人を十日近く足止めし、政府も軍も放置せる前代未聞の異常事態は、その行爲を是認する王黨派の民主黨政權出現により小康状態となり新年を迎ふ。盤谷都心部の恆例年越し花火は、二○○四年の大津波、二○○六年のクーデター以來自肅氣味なりしが、この暮は久方ぶりの派手さにて市民に取り敢へずの平和≠印象づく。

 空港閉鎖による經濟損失は五千億圓とも言ひ、國際的信用失墜による損失計り知れざるに、PADを正義の味方≠ニ讚へしカシット元駐米・駐日大使を外相に起用、泰の政情は、歐米型民主主義思想に慣れし日本人には理解し難きものありと言はむか。

 されどPADの空港占據直後、大學卒の若き泰人(日本企業に働く二十九歳)の意見を問ふに「退陣せぬ政府こそ惡けれ」といふ意外なる答を得て驚く。政治に個人的利益を持込むタクシンは惡し、買收選擧は信用出來ず、PADの實力行使により損失あらむとも、タクシン政權存續よりましなりと。その後、泰暮し長き邦人數名とも懇談せしところ、何れも同樣の意見と知り、更に驚く。

 二年前タクシン首相を追放せしクーデターを 世界のメディアは「民主主義の崩潰」と批判せしが、

 泰に長き邦人等は寧ろクーデター派、王黨派の心情的支持者多きやうなり。

泰社會の基本構造は「保護者」と「被保護者」の縱≠フ關係といふ。「保護者」の代表は國王なり。多民族多地方よりなる泰は、國王を父≠ニする

 家族國家思想≠ノより國の統一を圖り來れり。プミポン現國王は殊に徳望篤く、過去多くの政爭を

 鶴の一聲≠ノて治め給ひぬ。而して國王を支ふる最も強力なる組織は「軍」なり。

 國王を斷頭臺にて處刑せし仏蘭西革命以後の西歐型民主主義は、民衆同士の平等と權利義務――つまり横の關係¥d視の社會なり。そこにては選擧にて選びし代表による「多數決」を正義とす。

 泰人は横の關係≠フ調整は苦手(例へば勞働組合の組織率は五パーセント以下)なるが、近年の外資流入による經濟發展と情報化社會到來により家族國家%烽ノ於ける富の偏在・地方格差等が表面化せり。七年前に登場のタクシン政權はばらまき政策≠フ批判を浴びつゝも是正に努力せるに、華人(四代目)流の金權政治反撥を買ひ、加へて反王室的言動$ュ府人事に於ける王黨派冷遇等に「不敬」の攻撃を浴ぶ。

 前囘選擧に「買收あり」との憲法裁判所認定により政權は崩潰、民主黨に取敢へず座を讓る。新内閣の支持率は六割と聞く。「空港占據は行過ぎ」の聲はPAD支持者にも多けれど、国民は、僅差ながら「制度上の民主主義」より「国王の下での正義感覺」を望むらむか。タクシン派はなほ「制度上の民主主義」――解散・總選擧を要求して捲き返しを圖る構への如し。

 國民が頼みの綱≠ニするプミポン國王は十二月五日八十一歳を迎へ給ひしが、入院中とて恆例の演説を初めて中止、ワチラロンコーン皇太子(五十六歳)短き言傳てを代讀し給ふ。國王の御健康と國外(中東説あり)にあるタクシン元首相の今後の戰術次第により政情は豫斷を許さず。

 但し國外に傳はる印象とは異なり、政爭の一般市民生活或いは街の賑ひと無關係なるは泰の特色にて、相變らず亞細亞にて最も安穩なる國なるらむ。

 いづれにせよ泰は、西歐型民主主義の基準にては理解し難し。さりとて亞細亞に果して「民主主義國」ありや、また日本は眞に「民主主義國」なりや、と問はば、答難かるべし。亞細亞型民主主義∞泰式民主主義≠ネる言葉も散見する昨今なり。

 なほ、『世界』二月號に、當地の朝日新聞アジア總局長・柴田直治氏の「PADの造反有理――愛國無罪を許すタイの社會構造」と題する緻密なる論考あり。御一讀を乞ふ。



惡し

あし ひどい

わろし よくない

此の場合「タクシンの政治姿勢がひどい」の意味あり、「あし」と讀むべきか、「わろし」と讀まば、ク活用なれば「こそ」の結は「わろけれ」



その後、泰人と結婚、泰暮し長き邦人數名とも懇談

「その後」が「タイ人と結婚」、「懇談」二樣の連接可能なれば

また、泰暮し長く、泰人と結婚もすなる邦人數名と後日懇談など



五分

五分五分 半分づつ

五分搗き 精米度五十%

一割五分 十五%

此の場合五%なるべく、一割の半分、百分の五、など



難し

かたし むづかしい

むつかし うつたうしい

答難(かた)かるべし西歐型民主主義にも翳や


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