逆旅舎>泰通信 第三十五號 |
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泰通信 (第三十五號) 平成二十年九月 大口 憧遊 クンユワム、六十四年目の鎭魂 ビルマへ向ひし日本軍は、やがて進發せし時より少なき人數にてクンユワムへ戻り來れり。兵士の多くは傷を負ひ……。 自作の泰語作文を朗讀するは、泰國メーホーソン縣クンユワム高校二年のジャンディー・アルンプロムコーン孃十七歳。六十四囘目の終戰記念日の八月十五日、前號にて紹介せる第一囘岩城雄次郎賞の授賞式が同校體育館にて行はれ、東京より訪れし泰文學者岩城氏より最優秀作の筆者ジャンディー孃に賞状と賞金二千バーツ(六千四百圓)、佳作の五人に二百バーツづつを手渡せり。 無謀なるインパール作戰により敗走せる日本兵八萬余のうち七千乃至一萬名がこの地に辿り着き傷病死したりしが、親切なる泰人の世話にて生き殘りし者も多數ありといふ。平成八年、地元の元警察署長らの手で建設せる第二次世界大戰博物館(この八月より泰日友好文化センターと改稱)には銃劍、鐵兜、飯盒、血まみれの軍服等を陳列、壁面には農家に住み着きし兵士らの地元農民と共に農作業する姿が写し出され吾人の胸を打つ(前記元署長は平成十八年六月、プーミポン國王在位六十年祝賀のため天皇皇后兩陛下御訪泰の砌、盤谷にて兩陛下より直々に感謝の御言葉を頂戴せり)。 岩城氏は日本人の一人として是等泰人の親切に報いむものと現地中高校生を對象に、祖父母より聞き知りたる日本兵の話、自分と日本との關はりを主題とする作文を毎年募集せむとす。 第一囘の今年は四十九人が應募。同校生徒は五割以上がカレン族、モン(苗)族、シャン族の由なれど、入選者は六人ともカレン族の女生徒なりき。最優秀のジャンディー孃は「大學を了へてのち作家とならむ。日本へも行きたし」と目を輝かす。 この朝の授賞式には、夫々の民族衣裳を身に纏ふ全校生徒千余人が出席、二年前より同校にて日本語を教ふる桑原ゆき子先生指導の下、「さくら、さくら」を日本語と泰語にて歌へり。 日泰兩國の民間交流が生みし六十四年目の平和の鎭魂曲――望郷の思ひに身を焦しつつ散り給ひし日本兵の英霊は如何に聞き給ふらむ。 なほ朝日新聞は八月二十六日附「ひと」欄に「泰の中高生にエッセー賞を贈る作家」として岩城氏を紹介せり。余の推薦によるものなり。 ▼「逆旅舎」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |