逆旅舎>泰通信 第三十四號
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泰通信 (第三十四號)


         平成二十年五月  大口 憧遊


日本を主題に「岩城文學賞」を創設


 泰文學者岩城雄次郎氏(東京都在住、七十歳)が日本と日本人を題材とする泰人の詩文を對象に文學賞を創設、泰の「作家の日」の五月五日、盤谷郊外にて開催の泰作家協會年次總會にて發表せり。外國に於ける日本人個人の文學賞創設は例の少なき快擧に非ずや。

 既に三十年の歴史を持つ泰の「東南亞細亞文學賞」に倣ひ、三年を一周期として初年度の今年は短篇小説を對象に八月末に締切り、來年五月に岩城氏が授賞す。賞金は一萬バーツ(約三萬二千圓)。「登場人物の一人は日本人なること」を要件とす。

 二年目の來年は長篇小説を對象とし、翌年五月に授賞。賞金は二萬バーツ。「主人公は日本人なること」條件なり。三年目は詩篇とし、賞金は一萬バーツ。日泰兩國(或いは人)の感動的なる文化交流(或いは嫌惡すべき文化摩擦)を主題とす。岩城氏存命中はこの周期を續行す、といふものなり。

 應募作品の審査は泰作家協會會長チャマイポーン・セーンクラジャーン女史(詩人・作家・評論家)と、作家であり著名なる編輯者でもあるスチャート・サワッシー氏に半數づつを分擔依頼、岩城氏自身は全作品に目を通す。

 以上の内容は泰作家協會總會に岩城氏が日本人として初めて出席して發表、更にチャイマポーン會長より詳細なる紹介ありき。

 岩城氏は此の賞に先立ち、日泰修好百二十周年の昨年、今一つの岩城文學賞を創設し畢んぬ。ビルマ國境のメーホーソン縣クンユワムは、嘗て世界最大の愚行「インパール作戰」の日本軍基地なりき。數萬の日本兵ビルマ戰線より敗走、うち七千乃至一萬人が饑餓、疫病等にて此の地に歿す。岩城氏は數年前より毎年此の地を訪れ、或いは生き殘り日本兵(なほ數名を確認す)、或いは親切に日本兵を助け世話せし泰人を探して話を聞き、それを基に小説、實録を著すを生涯の仕事と定む。

 斯くして此の地を舞臺とする日本兵と泰人女性との愛の物語「メナムの殘月」を泰唯一の有料邦人週刊誌『バンコク週報』に連載、昨年その終了を機會に、クンユアム中高校生徒を對象とする岩城雄次郎賞を思ひ立つ。即ち生徒は一、祖父母、親戚等より聞き知れる元日本兵。二、自ら知る日本人。三、自らの現在と未來の夢――の三主題より一つを選び隨筆を書く。最優秀作には賞金二千バーツ(約六千五百圓)、佳作五名に一人二百バーツ(約六百五十圓)。これを同氏の存命中毎年續くといふもの。

 既に第一囘應募は締切り、今年の終戰記念日の八月十五日、同中高校に於て岩城氏自ら賞を授く。同氏は此の賞創設の動機を「敗戰時日本兵多數恩情を蒙る。日本人としての御禮なり」と語る。

 此の賞が今年、更に泰人全體を對象とする前記岩城文學賞の創設に發展せるものなり。同氏は「文學の地球的擴大」「異文化を背負ふ國民間の相互理解の爲」と位置付く。意義付けは兎も角「友人は泰人により多し」「何れも三十數年來の付合ひ」と言ふ岩城氏の、泰文學紹介のたゆまぬ努力と友好實踐に敬意を表するものなり。


 岩城雄次郎 いはき・ゆうじらう 七十二歳。東京外語大シャム語科卒。都立高英語教師の後、昭和四十五年、國際交流基金派遣の日本語教師として泰へ渡り、續いてチュラーローンコーン大にて教鞭を執る傍ら泰文學の研究、飜譯に從事。昭和五十三年歸國後は産能短大、東京外語大等にて教へつつ、泰文學の紹介に努む。

 平成六年、外國人初の「泰文化功勞賞」、今年四月には泰飜譯通譯者協會より同樣に外國人初の功勞賞を受賞。

 著書 『タイ現代文學案内』『日タイ比較文化考』『暹羅國武士盛衰記』等。

 飜譯 『時』(スチャート・サワッシー著)『妖魔』(セーニー・サウアポン著)等長篇小説三篇、短篇七二篇、詩一○八篇

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