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泰通信 (第三十二號)


         平成二十年三月  大口 憧遊


クーデター、元の木阿弥


 タクシン首相追放による選擧やり直しの結果、タクシン派政權誕生す――論理矛楯の如き表現なるらむが、泰國の現實なり。クーデターの結果は「骨折損の草臥れ儲け」「元の木阿彌」なる言葉を漫畫に描けるが如し。


 平成十八年九月二十日、新聞各紙一面に泰のクーデター報ずるを御記憶の向きもあるらむ。余は直後の泰通信(二十一號)に「世界史上最も穩やかなるクーデター」と傳ふ。タクシン首相國聯總會に出席中の留守を狙ひたれば一滴の血も流れず、庶民生活に何等の變化もなき故なり。


 泰軍部は政權を掌握して暫定政府を作り、タクシン前首相の與黨幹部を五年間の公民權停止處分に附して昨年暮總選擧を實施せしところ、案に相違して前首相派の新政黨壓勝、二月六日、新内閣發足とはなれり。


 軍幹部よりなる國家安全保障協議會は翌日解散、議長代行の空軍司令官は「もはやクーデターは望まず。國家の信用傷つけばなり」と語りき。一年五ケ月ぶりの民政復歸となる。倫敦等にて亡命生活を送りしタクシン氏は二月末歸國。政界より引退の意思表示をすれど、今後の政局への影響力を疑ふ者なし。


 結局のところ、何の爲にかクーデターを發せる。クーデターは「亞細亞に於ける民主主義の優等生」なる印象を一擧に覆す。軍制側のタクシン追放理由は、一 汚職、二 王室輕視、三 國家分斷――と報ぜられ、當時は大半の民衆も喝采せり。しかるに汚職の摘發は進まず、不敬罪容疑は全て不起訴となる。


 「國家分斷」は、深南部四縣の過激獨立派によるテロを強壓政策により惡化せし責任を問ふものなりしが、「融和」を掲ぐる軍政府下にありてもテロは激化しつつあり(但し四縣以外の泰人の生活には殆ど關はりなし)。一方、景氣は減速、昨年成長率は五パーセント弱と東南亞細亞聯合諸國中最低となり、軍政府は形無し。尤も軍豫算は七割増となり、軍も元は取れりと言ふ向きもあり。結局のところ、權力機構内部の利權爭ひといふ低次元のクーデターなるらむか。


 クーデター直後の大晦日には盤谷都心にて四十餘人の死傷者を出す爆彈テロありしが、犯人不明のままうやむやに推移し、再發もなし。庶民の日常生活はクーデター前も後も變らず平穩にして、昨年泰を訪れし外國人旅行者は前年の五パーセント増なりき。要するに、世はなべて事も無し。如何にも泰らしき決着なり。 日本の諸兄姉、安んじて訪泰されんことを。


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