逆旅舎>泰通信 第一號 |
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泰通信 (第一號) 平成十六年五月 大口 童遊 ローン roon (タイ語にて「暑し」「熱し」の意) 暑さ、安さ、活氣(澁滯・排ガス)、珍しき味(辛さ)、豐富な果物、水の惡さ、まづまづの治安、言葉(發音と文字)の難しさ……。 盤谷(バンコク)の第一印象を言葉にして竝ぶれば右の如し。印象の新鮮なる間に、毎月、その一つを選びて、取敢へずの泰通信とせむ。 ともかく暑し。熱帶(北緯五〜二○度)にて、乾季(十一月〜四月)、雨季(五〜十月)の別は聞き及びしが、三〜五月を、一年で最も暑き「暑季」と呼ぶとは知らざりき。泰の正月「ソンクラーン」の四月半ばは最高四○度に及びしやうなれど、余 到着後の數日(四月二十日過ぎ)は三七〜三八度。 日中出歩く際は日除け傘をさす。クワッと照りつける日差しに目くらむ思ひなり。タクシーの中、デパート、レストラン等は過度の冷房にて、上着なしには過ごし難し。 我が家は都心より五粁ほどの街なかにあり、路地を入れば泰人のアパート連なる。いづれの家も冷房なし。泰人向けの多數の店舖、食堂も冷房なし。泰人の多くは、一生、冷房なしの暮しなり。而して、その我が家は二階家にて、部屋ごとに冷房機を置く。一歩、廊下に出づれば蒸し風呂の如し。夜に至るも冷房と扇風機を併用して寢に就く。 五月に入りては最高氣温三五度前後。間もなく雨季に入らば、平均二七度前後となり、冷房なしでも過せるほどにならんといふ。 泰國へ出發の數日前、岡崎久彦元駐泰大使より御紹介賜りし盤谷日本人會の重鎭清水一智氏に「季節感薄き土地にて俳句は如何ならむ」と質問せしところ、日本人會に「メナム句會」ありとの答(メナムは「母なる河」の意)。同氏の御紹介にて五月十五日、句會に初參加せり。三十五〜七十五歳の男女九名ほどにて、互選が主なり。戰前よりの傳統ある句會の由なるが、僅か二名に減りしこともあると云ひ、關係者の努力に感動せり。 當日の高點句より一句 薄暑とて一枚脱ぎて花を撮る 山本 良子(メナム句會) 余 古稀を過ぎし今、はからずも妻と娘の先住せる泰國にて數年を暮すこととなり、この四月、首都盤谷に到着せり。而して「文語の苑」岡崎久彦幹事の四年間に亙り駐泰大使として在任せし故地にて、このたび「平成の泰通信を」と余に勸める聲ありて、菲才ながら月一囘掲載の御許しを賜ることとはなりぬ。關係各位、讀者諸賢の御鞭撻を乞ふ。 [泰 國]正式には泰王國(立憲君主國)。舊名シャム。インドシナ半島中央部(西にミャンマー、北・東にラオス、南東にカンボジア、南にマレーシア)を占め面積五一萬平方粁(日本の一・四倍)、人口六千萬。泰人八割。僅か一割強の中國系の人々が政治・經濟の樞要を占む。泰語(中國語起源の母語にサンスクリット等混りしもの。クメール文字起源の左横書き表音文字)。十七世紀アユタヤ朝に仕へし山田長政の活躍も世に知らるるところなり。イラク派兵國。 ▼「逆旅舎」表紙へ戻る ▼「文語の苑」表紙へ戻る |