逆旅舎>赤壁毅彦「奥能登あすなろ鉄道」社歌を詠みたること
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「奥能登あすなろ鉄道」社歌を作る  
                  赤壁毅彦


 平成十五年三月、「のと鉄道」七尾蛸島間約九十km中穴水蛸島間約六十キロメートル廢せらる。前年平成十四年十二月、地元有志・支援者相集ひて受け皿会社「奥能登あすなろ鉄道」設立を決し、資金の調達に奔る。然るに所期を達し得ずして無念登記に至らざりき。


 かくて存續運動は復活運動に衣替へ・仕切り直しとなりて受け皿會社の件も白紙に歸す。同憂の同志いつの日か復活成るを期し、余に嘱して社歌を作らしむ。なほ、余作詞は可とすべきも作曲は如何ともすべからず。よつて既存の曲を藉りて詞を宛つ。左掲それなり。冀はくは作曲者笑つてこれを諒とせよ。 ちなみに諸兄姉に問ふ、既存の曲とは何ぞ。


「奥能登あすなろ鉄道」社歌


土まで優しき能登半島、かすむ立山、九十九の入り江
縄文よりの營みも、山の古きになほしかず
奥能登あすなろ鉄道、皆を乗せて
能登半島、内浦の海、皆を乗せて


憂へ秘めたる昔の傳へ、旅のロマンはここにあり
われら都塵にまみるるも、想ひははるか旅の空
奥能登あすなろ鐵道、皆を乗せて
能登半島、内浦の海、皆を乗せて


道祖の誘ひに心もそぞろ
雨の音風の音を聴くにつけ
沸き出づる、新たなる旅への想ひ
いざや乗らむ


奥能登あすなろ鐵道、皆を乗せて
能登半島、内浦の海、皆を乗せて


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