愛甲次郎◆鞍馬紀行
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『鞍馬紀行』 愛甲次郎


 五時半目覚めぬ。未だやや早しと思へど再び寝に就くも難ければ其の儘床を離る。窓外を見れば今し赤き陽の山の端を出でんとすなり。台風既に東海に去りて鞍馬山に詣づるにはこの上なき日和となるべし。勘定を済ませ京都駅を目指す。早朝なれば幅広き道未だ陽の陰なり。鞄、上着、傘を纏めてコインロッカーに収め烏丸口に向ひ、バス停留所にて205番北大路行を待つ。思ひの外客多く既に列を成せり。バス河原町通を北上するに陽は常に東にあり日陰を走行す。今出川にて下車、東に道を取る。加茂川に差掛かる頃蝉時雨耳朶を打つ。晴天なれども湿気甚しく汗ばみて心地悪きこと限りなし。橋を渡れば左手に阪急の出町柳駅見ゆ。これを過ぎて地下道を進めば程なく地上に出でて叡山鉄道の駅あり。終点鞍馬までの切符を求むれば値四百十円なり。車両は二両編成にして乗務員唯一人車掌を兼ぬれば、後方車の出口は開かず之恰も袋小路の如し。七時前なれば乗客の数いと少し。宝池を過ぐる頃より窓外に水田、菜園散見す。稲穂は伸びてただ熟すを待つのみ。次第に上り坂となり、右手に山、左手に里を見る。山側には鬱蒼たる森、竹藪続き、里側にはかかる草深き地に民家の軒を連ぬることまさに信じ難し。われも住まばやと思はする風情更になし。市原を過ぎ列車は木の間を穿つが如く、或は樹海の底を這ふが如く進む。樹海を出づれば朝靄を越えて差込む陽光を浴びて樹葉の輝く様雨に濡れたるかと怪しむ。貴船の先は余の他乗客僅かに一人を残すのみ。やがて終着駅鞍馬に着く。この地標高四百米を超ゆればホームに降り立たば既に京の暑さなし。野生の鹿の親子三疋、目は此方に向けつつホームの脇の草を食む。駅の待合室に席を取り、京都駅にて買ひ置きしサンドイッチと缶紅茶を以て朝食と為す。駅を出でてしばし歩を運ぶほどに仁王門眼前にあり。荘重なる構へなれど丹塗りの柱は色褪せたり。人に問へばケーブルの乗場は仁王門の内なりと言ふ。始発は八時十八分なれば待つこと四十分余なり。乗場は堂塔の一つの中なれば寺に仕ふる男女数名丁寧に床を掃き清めつつあり。会ふ人毎に挨拶を交す。ケーブルは片道百円、かなり小振りのものにして急斜面を上る。終点を出でて暫し石を敷き詰めたる参道を行く。右手の山側より木の枝幾重にも垂れ下り、左手には下方遥かに水の流るるを聞く。樹木の層重りたれば日光のこぼれて地に達するはいと稀なり。数分の後右手に鞍馬石を組みたる急勾配の石段あり。本堂に通ずる道なり。休み休み上るほどに広き庭を前にして本堂その姿を現す。堂内参詣するに先立ち、背景の山の佇ひを見る。青き空に聳え萌黄色に光る杜は恰も手入行届きたる名園を見る心地す。内陣に入りて千手観音、毘沙門天、護法魔王尊に合掌祈念す。


 鞍馬寺縁起によらば宝亀年間鑑禎上人草庵を結びて毘沙門天を祀りしが始にて後に千手観音、護法魔王尊を合祀せりといふ。護法魔王尊太古金星より下り給ひし由にて、定めし鞍馬山の発する特異なる波動を古への人も感じたる故なるべし。明治の頃臼井甕男翁鞍馬に籠りて密教の行を行ひ啓示を受け霊気の技法を得たりと言ふ。之まさに護法魔王尊によるならむか。


 余かって桜の咲き誇る季節に此処を訪れ、言ひ知れぬ強き気を受く。これぞまさに鞍馬の霊気なるべく、再びこの霊気に触れんとて今回この山を訪れたるなり。


 再び外に出づれば足許に一匹の蜥蜴あり。鉄色に光る鱗皮、繊細なる四肢自然の造せる一個の傑作と言はざるべからず。驚かさざるやう大廻りして奥の院遥拝所に至る。立札ありて此処より先に進まば八百米にして奥の院、更に六百米にして貴船社と記されたり。されど体力の及ばざるを惧れてここより遥かに奥の院を伏し拝む。ただ霊気のシンボルとマントラを用ゐ想念の内にのみ奥の院に至る。次いで庭の奥の舞台の縁に腰を下し暫し瞑想す。観光客と覚しき数名余に挨拶して過ぎ行く。前回に感ぜし霊気は遂にこれを再び感ずることなし。此度も山の気清らかにして気分爽快なれども前回には遠く及ばず。未練を残しつつ帰路に就く。


 往路にては気づかざりし山側の岩肌に白と緑の苔の成せる模様、なかなかの趣なり。九時過ぎには鞍馬駅に戻りぬ。喉渇きて氷菓子を購はんと欲すれども今将に発車なれば之を断念して電車に飛び乗る。


 気がつきて辺りを見れば再び蝉時雨の街中なり。京都御所の木立の脇を過ぎて埃の中を歩む頃は鞍馬の霊気を追ふ心は既に消失せたり。之を追ひ求むるときは神秘は姿を見せず。思ひも及ばぬときにこそそは現るるものなれ。



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