雁信筐>硯の友
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   愛甲次郎







二十三. 成佛作戰


この度は無事ご退院同慶至極に存じ候。
我書齋の窓越しに見ゆる隣家の庭に立つ黒き鐵柱の上に、根無しの朝顏不思議に咲き出でて今朝も二輪風に吹かれ居り候。
例のラジオ放送行はれたる當日より六日間熱海にて開催の講習に參加せしかば、お約束の當該録音送付の暇なく遲れたること改めてお詫び申上げ候。
瞑想は古來東洋のお家藝にして歐米の關心ある向も印度、ネパール或は日本に來り修行を爲すべきと思ひ來りしに最近は米國にて工夫一段と進みその效率の良さ、當に目を瞠るべきもの之あり候。


「米國ヴァージニア州に既に故人になりけるがロバートモンローと稱する音響學者ありて、ステレオのイヤホーンを用ゐ瞑想の效率を高むる術を編み出せり。CD又はテープに音樂を搭載するに當りては一定の周波數に載せて之を爲すべきも左右の耳より異なる周波數にて音樂を聽く時は、左右の腦全く豫期せざりし事態に動顚 して之を調整せむが爲異常なる努力をなす。神經生理的には周波數の差に應じて一定の腦波生ず。腦波と意識状態の間には強き相關關係あれば、この技術を用ゐば任意の意識状態を創出することを得。禪の高僧が瞑想時に出す腦波はアルファー波(實際はかなり複雜)にして俗人の覺醒時の腦波はベータ波と稱せらる。禪僧の境地に至るには通常少なくとも數年の修行を要するもこの技術によらば數週間の講習にて實現可能と豪語す。この技術は hemisphere(腦の半球) synchronization(同期) を略してヘミシンクと呼ぶ。」


小生豫てより之に多大なる關心を抱けども實習のための渡米も難ければ半ば諦め居り候。然るに兩年程前より日本に紹介せられ、遂に今囘本場におけると全く同樣の講習實現の運びと相成り小生之に參加致せし次第に候。


「佛教の瞑想においてその境地の高まるに應じ之を九段階に分かつことは經典の示す所。されど今日これを指導し得る僧侶のありと言ふを聞かず。ヘミシンクの優れたることの一つにこの技術により達成せられたる意識状態の水準を細かに規定してマッピングを施せることを擧ぐべし。フォーカス(F)1よりF 49に至る規定の精緻なることは當に驚嘆に値す。C1(これのみはF とは言はず)は通常の覺醒状態なり。F10は體は熟睡せるも意識は覺醒せる状態なり。F12は意識の擴大状態、F15は時間の存せぬ状態、F21はあの世とこの世との境の状態なり。更に進みてF23に至らば死せる人の取敢へず到達すべき意識状態なり。F24,25,26は信念體系領域と呼ばれ、生前の強き信念に導かれ到達すべき場なりと言ふ。F27は至福の領域にして佛教或はヒンドゥ教ならば天人の住居と言ふらむ。」


今囘の講習はF23に至りて、一旦死せるもその自覺なき靈を見出し、これを導きてF27に至らしむる作業(成佛作戰)を行ふことに之あり候。一例を擧ぐるに小生はナポレオン戰爭にて戰死せるロシア兵を戰場より橇に乘せてF27に運び候ひき。貴兄も俄には信じ難きことと存じ候共、受講生同志、名前のみ明してその縁故者を交互に救出せしむるに、細部の情報悉く符合するは全く不思議と言ふほか無之候ひき。
なほ意を盡さざる所有之候も貴兄全快の上は次囘七人の會にて改めて他の諸君等と續きを論ずべく、これを期して今はこれにて擱筆仕り候。


萩原照親樣


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