文撰閣>候文 森鴎外『即興詩人』(1890)より 解説・加藤淳平
推奨環境:1024×768, IE5.5以上




候文 森鴎外『即興詩人』(1890)より


 文して戀しく懷しきアントニオの君に申上げ参らせ候。今宵はゆくりなくも、おん目に掛り候ひぬ。再びおん目にかゝり候ひぬ。こは久しき程の願にて、又此願のかなはん折をいと恐ろしくおもひしも、久しき程の事にて候。譬へば死をば幸を齎(もたら)すものぞと知りつゝも、死の到来すべき瞬間をば、限なく恐ろしくおもふが如くなるべく候。この文認(したた)め候は、君に見(まみ)えてより数時間の後に候へども、君のこれを讀ませ給はんは、数月の後なるべきか、或は又月を踰(こ)えざるべきかとも存ぜられ候。世の人の言に、われとわが姿に出で逢いしものは、遠からずして死すと申候へば、わが常の心の願にて、我心と同じものになり居たる君に逢ひまゐらせたるは、我死期の近づきたるしるしなるべくやなど思ひつゞけ参らせ候。


解説(加藤淳平)= 解説(加藤淳平) 森鴎外は一八八八年(明治二十一年)にドイツ留学から帰国した翌々年、『舞姫』を発表して、文壇に出た。童話作家アンデルセンの小説『即興詩人』の翻 訳は、そのすぐ後から雑誌に掲載されはじめ、十年後(明治三十五年)に、完本が刊行された。

 当時の文壇では、徐々に文語体から言文一致体への移行が進んでいた。小説を見ると、ほぼ世紀の変わり目、つまり明治三十三年ころを境目に、大勢が文語体から言文一致体に移る。その意味で『即興詩人』は、文語体小説の掉尾を飾る。翻訳ではあるけれども、文章の完成度は、原作をはるかに凌ぐといわれる。明治期の文語文の文体確立の推進者の一人である鴎外の真面目を示し、明治の文語文の完成された文体を提示する。

 物語の舞台はイタリア。北欧の人アンデルセンの南国へのあこがれが、明治期の日本人の、西欧に感じた眩暈の感覚と重なる。主人公の即興詩人と薄幸の歌姫の恋物語は、天下の子女の紅涙を絞った。『即興詩人』を片手に、イタリア各地を巡歴する日本人旅行者は、後を絶たなかった。

 ここに書き出しの部分を掲げた書簡文は、かっての華やかな人気絶頂の時代に主人公と知り合った女主人公が、零落して、主人公と再会した直後に、死を覚悟して綴ったものである。小説全体のクライマックスをなすこの書簡は、主人公に、死に行く女主人公の思いと遺志とを知らせ、物語は大団円に向かう。

 『舞姫』に描かれた、日本人留学生とユダヤ人の踊り子との恋物語は、かなりの程度、鴎外の伝記的事実を反映しているといわれる。そうだとすれば、貴公子と歌姫との恋物 語である『即興詩人』に鴎外が惹かれたのも、あれだけの情念のこもった名文が書かれたのも、実際の経験に裏打ちされているからだと思えなくもない。そう思うだけで楽しくはないだろうか。

 最後に原文に二か所ある「参らせ候」は、女文であることを示して、変体仮名で書かれており、それに「まゐらせそろ」とルビが打ってあることを申し添える。


▼「文撰閣」表紙へ戻る
▼「文語の苑」表紙へ戻る