文撰閣>和文脈の文 からごころ(本居宣長『玉かつま』より)解説・加藤淳平
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和文脈の文 からごころ(本居宣長『玉かつま』より)


 漢意(からごころ)とは、漢国のふりを好み、かの国をたふとぶのみをいふにあらず、大かた世の人の、万の事の善悪是非(よさあしさ)を論(あげつら)ひ、物の理(ことわり)をさだめいふたぐひ、すべてみな漢籍(からぶみ)の趣(おもむき)なるをいふ也。  さるはからぶみをよみたる人のみ、然るにはあらず。書といふ物一つも見たることなき者までも、同じこと也。そもからぶみをよまぬ人は、さる心にはあるまじきわざなれども、何わざも漢国をよしとして、かれをまねぶ世のならひ、千年にもあまりぬれば、おのづからその意(こころ)世の中にゆきわたりて、人の心の底にそみつきて、つねの地となれる故に、我はからごころもたらずと思ひ、これはから意にあらず、当然理(しかあるべきことわり)也と思ふことも、なほ漢意をはなれがたきならひぞかし。そもそも人の心は、皇国も外つ国も、ことなることなく、善悪是非(よさあしさ)に二つなければ、別(こと)に漢意といふこと、あるべくもあらずと思ふは、一わたりさることのやうなれど、然思ふもやがてからごころなれば、とにかくに此意(このこころ)は、のぞこりがたきものになむ有ける。人の心の、いづれの国もことなることなきは、本のまごころこそあれ、からぶみにいへるおもむきは、皆かの国人のこちたきさかしら心もて、いつはりかざりたる事のみ多ければ、真心にあらず。かれが是(よし)とする事、実の是(よき)にはあらず、非(あし)とすること、まこ との非(あしき)にあらざるたぐひもおほかれば、善悪是非に二つなしともいふべからず。又当然之理(しかあるべきことわり)とおもひとりたるすぢも、漢意の当然之理にこそあれ、実の当然之理にはあらざること多し。大かたこれらの事、古き書の趣をよくえて、漢意といふ物をさとりぬれば、おのづからいとよく分るるを、おしなべて世の人の心の地、みなから意なるがゆゑに、それをはなれて、さとることの、いとかたきぞかし。


解説(加藤淳平)= この本居宣長の『玉かつま』(一)から引用した、「からごころ」という文章については、長谷川三千子氏の『からごころ 日本精神の逆説』(中公叢書1986年)という、大変すぐれた論考があるので、この文章に興味をもたれた方は、参照していただきたい。ここでは和文脈の文の、独特の言葉の使い方を味わっていただければ十分だが、それとともに、本居宣長の思考の射程を知っていただくために、いささかの戯れまでに、この文全体の「からごころ」を、「欧米風のものの考え方」と言い換えて、下記のとおり、現代風に書き直して見た。

 ─ 欧米風の生き方を好み、欧米を崇敬する人だけが、「欧米風のものの考え方」をしているわけではない。世間の人が、ことの善し悪しや正しいか間違っているかを論じ、これが論理的に正しいなどというのは、欧米の本にそう書いてあったから言っていることが多い。そんなことを言うのは、欧米の本を読んだ人ばかりではない。本などというものを、一冊たりとも読んだことのない人でさえ、そうなのだ。

 もともと欧米の本を読んだことのない人なのだから、そんなはずはないのだが、どんなことでも欧米がよいといって、欧米に学ぶ風潮が百年以上も続いたので、自然にそのようなものの考え方が世間に行き渡って、人の心の底に染み付き、それが常識となってしまったために、自分は欧米風になど考えない、これは欧米の考え方ではなく、世界どこでも通用する、当然のことだと思うのも、実は欧米のものの考え方を一歩も出ていないのである。

 人間の心は、日本でも外国でも違うわけがなく、善いこと悪いこと、正しいこと間違っていることに二つはないのだから、別に「欧米風のものの考え方」だと強調する必要はないと思うのは、一応正しいように見えるが、そう思うのも実は欧米の考え方なのだ。このように「欧米式のものの考え方」は、なかなか捨て去ることが難しい。人間の心がどこでも違わないというのは、人間本来の感情はそうであるか も知れないが、欧米の書 物に書いてあるのは、欧米人が考え出したご大層な理論の産物であり、人為的理屈をこねて考えたことばかりが多く、人間の自然な感情を反映していない。欧米人が正しいとすることが本当は正しくなく、間違っているといっていることが本当は間違っていない例も多いので、善いこと悪いこと、正しいこと間違っていることに二つはないともいえない。またものごとの当然の理と思われている論理も、欧米の論理であり、われわれがものを考えるときのすじ道とは矛盾することも多い。

 大体こうしたことは、昔の書物に書いてあることをよく理解し、欧米人がどのようにものを考えるかが分かれば、自然に納得できることなのだが、世間の人がおよそものを考えるときは、みな欧米の影響を受けているので、欧米のものの考え方を離れてものごとを納得するのは、ひどく難しい。


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