文撰閣>明治の小説2 夏目漱石 [解説・加藤淳平
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●明治の小説2 夏目漱石『幻影(まぼろし)の盾』(1905)より


 黒雲の地を渡る日なり。北の国の巨人は雲の内より振り落されたる鬼の如くに寄せ来る。拳(こぶし)の如き瘤(こぶ)のつきたる鉄棒を片手に振り翳(かざ)して骨も摧(くだ)けよと打てば馬も倒れ人も倒れて、地を行く雲に血潮を含んで、鳴る風に火花をも見る。人を斬るの戦にあらず、脳を砕き胴を潰(つぶ)して、人という形を滅せざれば已まざる烈しき戦なり。

 わが渡り合ひしは巨人の中の巨人なり。銅板に砂を塗れる如き顔の中に眼(まなこ)懸りて稲妻を射る。我を見て南方の犬舌を捲いて死ねと、かの鉄棒を脳天より下す。眼を遮らぬ空の二つに裂くる響して、鉄の瘤はわが右の肩先を滑べる。繋ぎ合せて肩を蔽へる鋼鉄(はがね)の延板の、尤も外に向へるが二つに折れて肉に入る。吾がうちし太刀先は巨人の盾を斜(ななめ)に斫(き)つて戞(かつ)と鳴るのみ。

 われ巨人を切ること三度(たび)、三度目にわが太刀は鍔(つば)元より三つに折れて巨人の戴く甲の鉢金の、内側に歪むを見たり。巨人の椎(つい)を下すや四たび、四たび目に巨人の足は、地を含む泥を蹴て、木枯の天狗の杉を倒すが如く、薊(あざみ)の花のゆらぐ中に、落雷も耻じよとばかりどう(革へんに、堂)と横たはる。横たはりて起きぬ間を、疾くも縫へるわが短刀の光を見よ。吾ながら又なき手柄なり。


解説(加藤淳平)= 夏目漱石が文壇に出たとき、もう世は言文一致体の世であった。漱石の処女作『吾輩は猫である』は、文語体から遠い純然たる口語体の文章である。しかしこの作家には、優れた文語を綴る力があった。一方で『吾輩…』を書き ながら、文語と口語の中間のような文体の短編小説を同じ年に発表した。『幻影の盾』と『薤露行』であり、いずれにおいても、中世の英国に題材を取って、文語文の魅力を言文一致体に写す、新しい文体を試みた。上の文は『幻影の盾』の中で、主人公が祖先から受け継いだ盾の由来を、祖先の戦士が古文書に記した文である。すべて文語で書かれており、戦士の巨人との戦いを活写する。


●明治の小説2 夏目漱石『薤露行(かいろこう)』(1905)より


 ランスロットの夢は成らず。聞くならくアーサー大王のギニヴィアを娶らんとして、心惑へる折、居ながらに世の成行を知るマーリンは、首を掉(ふ)りて慶事を肯んぜず。この女後に思はぬ人を慕ふ事あり、娶る君に悔あらん。とひたすらに諌めしとぞ。聞きたる時の我に罪なければ思はぬ人の誰なるかは知るべくもなく打ち過ぎぬ。思はぬ人の誰なるかを知りたる時、天(あめ)が下に数多く生れたるもののうちにて、この悲しき命(さだめ)に廻(めぐ)り合せたる我を恨み、このうれしき幸を享(う)けたる己れを悦びて、楽みと苦みの綯(ないまじ)りたる縄を断たんともせず、この年月を経たり。心疚(やま)しきは願はず。疚しき中に蜜あるはうれし。疚しければ蜜をも醸(かも)せと思ふ折さへあれば、卓を共にする騎士の我を疑ふこの日に至るまで、王妃を棄てず。只疑の積もりて証拠(あかし)と凝(こ)らん時──ギニヴィアの捕はれて杭に焼かるる時──この時を思へばランスロットの夢は未だ成らず。


解説(加藤淳平)= こちらは『薤露行』から採った。英国のアーサー王伝説に材を取った『薤露行』の文章は、文語調の文と口語調の文とが混じった、縹渺とした効果を醸し出す美文であるが、アーサー王麾下の円卓の騎士の一人、ランスロットが、試合の前夜、王妃ギニヴィアとの恋を思って寝付かれぬさまを描く上の文は、全文文語調である。なお文中のマーリンは、魔法使いにして占者、アーサー王側近の一人である。


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